2010/04
人生の目的より賢者の石

ようやく春!ですね。

先日、相談者のおひとりからこんな話をされました。
「人生の目的がよく分からない。存在の意味といわれてもそれもよく分からない」と。

この数年、この『人生の目的』探しはいわばブームのようになっていましたので、それが分からない自分は問題だ、と思われたのでしょう。でも、人生の目的、自分は何のために生まれ、何のために生きねばならないのか分かっている、という人がどれくらいいるかは大変疑問です。

ただ彼はあるセミナーで講師の先生にこう言われたというのです。

「人生の目的は、心から自分のやりたいことを発見することです。心からやりたいと思うこと、それはあなたが家や財産を失ってもいい、それでもそれをやりたいと思うこと、それが人生の目的です」と。

それを聞いて私は心が寒くなりました。たぶん人類の文明に貢献した偉人たちの中にはそんな人がいたのは事実です。でも、その人たちは『人生の目的』を探してそうなったのではなく、初めは好奇心から、そして実際にそれを作ってみたくなり、しかもやってみたら寝食を忘れるほど面白かった(これは表層的な意味ではありません)、だから苦労も貧乏も苦にならなかった。その連鎖の中である日、とうとう何かが生まれた・・・。というのが現実ではないかと思うのです。

私の師であった森敦は言いました。
「産みの苦しみに耐えさせるもの、それが真の情熱だ」と。

ワクワクしながらできることがほんとうの自分の仕事だとニューエイジでは言いますが、そのような皮相的ひそうてきなレベルではなく、産みの苦しみに耐えぬいて、ある時、それまでやってきたことが形になる、誕生の瞬間に立ち会う、それが人生とか仕事の醍醐味でもあり、真の喜びではないかと思うのです。

でも、その相談者はうなだれて言いました。
「しかし、そこでの一番の問題は自分が何をやりたいのか分からないということなのです」と。

彼はほんとうに正直な人だ、と私は思いました。嘘がないだけ鋭いかもしれません。たいていの人がそのマジックのような生き甲斐論に自分も合わせようと、にわか仕立ての『人生の目的』を見つけ出そうとして、見つけたような気になってしまうからです。

そこで、「賢者の石って知ってますか?」 と私が言うと、彼はきょとんとしました。

「あのね、賢者の石というのは、無から有を生み出す知恵のこと。それを使えばいいんです。あなたにできることで、少しでも喜びにつながることはありませんか? 誰かが喜んでくれたり、あなた自身がちょっと楽しかったりすること」

本来、『賢者の石』と言われているものは人の中に眠っている創造性のことをさします。

何がなくても『知恵を働かせて何かを生み出すこと』なのです。そこに「誰かが喜んでくれるから」という起爆剤があれば、その賢者の石はますますかがやきを増します。それが期せずして生きる喜びにつながることもあって、そして、そうやって自分の一生を一日一日しっかり生きていく、それですべてではないかと思います。

だから人生の目的なんて「絵に描いた餅」、思いこみや幻想以外のなにものでもありません。自分自身を知るために人生という時間とプロセスが与えられている、だから真摯に『今』を生きていく、それができたら100点満点の人生ではないでしょうか。

2010/04/04 高瀬千図拝

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