2010/10
明恵上人みょうえしょうにん

暑かった夏も過ぎて、いよいよ本格的な秋の始まりですね。
今朝早く散歩していたら、森の中には極上のエッセンシャルオイルのような、まるでサイプレスのような香りが漂っていました。カラマツが散り始めるころになると、かならずこの香りがします。その香りを胸一杯に吸いながら歩いていると、野生の栗がたくさん落ちているところを見つけました。人が食べるには小さすぎるのですが、リスにはご馳走。庭にやってくるリスのために、さっそくポケットいっぱい拾って帰り、ベランダのテーブルに置きました。

このところ十年がかりで書き続けてきた(とはいうものの、途中で何度も挫折しました)長編も推敲を重ね、ようやく脱稿のめどが立ってきました。鎌倉時代の僧侶、高山寺の 明恵上人みょうえしょうにん の物語です。華厳経と密教を統合させたことで知られ、瞑想をとても大事にした方でした。あまり有名ではないのは、教団を作らなかったことや組織的な宗教を否定していたからです。

明恵は仏の教えである仏性や菩提心といった、人が真実の愛に目覚め、それを生きるためには教団や組織はなんの意味も持たず、かえって害になるとさえ考えていました。成長も気づきもあくまでも個人の内的な問題だとしばしば語っています。華厳経に関して当代随一の学者でもありながら、彼は権威を嫌い、名利を嫌い、高僧だと言われることすら恥じていました。

この上人の物語を書きたいと思ったのは、『現実はあくまでも自分の意識の投影である』と鎌倉時代にすでに語っていたこと、人が進化し覚醒するためにはどうしたらいいのか、ずっとその方法を探し続けていた、ということを知ったからでした。彼は鎌倉時代にすでにニューエージが言うようなことをもっと深いレベルで語っていました。800年たった今、ようやく『現実はすべて私たち自身の意識の投影である』ことが、一部の人たちには受け入れられるようになってきています。そこで思うのは、クリシュナムルティとの共通点です。二人の考え方、人生のとらえ方は酷似しています。

私がネオ心理学でやろうとしているのは、明恵が言おうとしたことをもっと分かりやすく、現実的に実践可能なものにするということです。私自身のことを申し上げると、本を書いたり、瞑想を指導したり、密教をやったり、セラピストの養成講座を開いたり、何だかいろいろなことをやっている、と思う方もあるかもしれませんが、昔から今にいたるまで、私は実はひとつのことしかしていません。

人が葛藤やエゴから抜け出し、捕らわれから自由になり、ほんとうの『生』の喜びに目覚めるにはどうしたらいいのか。内なる仏性を目覚めさせ、穏やかに自分らしく生きるにはどうしたらいいのか、そんなことを自分自身を通して学び、気づき、実践してみる。やっているのはそれだけなのです。

 明恵上人みょうえしょうにん は瞑想が大好きでした。高山寺には 明恵上人みょうえしょうにん が松の木の枝に腰をおろして瞑想している姿を描いた絵が遺されています。何者でもなく、捕らわれなく生きることを望み、「あるべきようは、あるべきままに」という言葉を残した明恵。それはクリシュナムルティの問いかけ、「私たちはなぜ野に咲く一輪の花のように生きられないのでしょうか」という言葉と重なって聞こえてきます。

2010/10/05 高瀬千図拝

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