2011/10
自然と調和するということ

気がつくと、夏らしくもない夏がどこかに行ってしまい、しかも二度にわたる大きな台風の襲来。ここ八ヶ岳もあちこちで倒木があり、村は片付けに追われていました。幸い我が家の周辺では倒れたカラ松も道路を塞ぐことなく無事に通ることができました。

不思議なのは木が道路を除けて邪魔にならないように倒れていることです。ここに住んでいると木には意志があるのではないかと思わせられることが度々あります。カラ松はことに根が浅く、少し強い風が吹くと根こそぎ倒れてしまうのです。松は柔らかいせいか途中からぼっきりと折れてしまいます。

この家を建てるときも、かなりの数のカラ松を伐採しなくてはなりませんでした。
木をよく知る人は言います。

「黙って切らないでください。きちんとことわってからにしてください」

と。私も何本ものカラ松やその他の木に一本一本きちんと挨拶をし、御神酒をあげて謝罪とお別れの言葉を言ってから切ってもらいました。

 

森は間伐をしなければ木や灌木が密生してかえって森自体の健康を損ねます。風も光も通らなくなり、荒れた森になってしまうのです。それでも木を切らなくてはならないときは胸が痛みます。去年の秋にも大きくなりすぎたタモの木を何本か切らなくてはなりませんでした。うっそうとしすぎて庭が陰ってしまうのです。心が痛みました。それに気づいたのかどうか、間伐を頼んだ村の樵夫(しょうふ:きこりのこと)の老人は言いました。

「心配するな。ひこばえが春になったらこの切り株から一気にわーっと芽を出すからな」

そして、そのとおりになりました。
(※ひこばえ(蘖)とは、樹木の切り株や根元から生えてくる若芽のことです。)

 

木は切られても生きています。
木には精霊が宿っていてそれが木の『命』を司っているのだと友人のひとりは言います。彼女は精霊と話すことができる人なのです。

「大丈夫、ここの森にはたくさんの精霊が住んでいて、しかも、あなたがここにいてくれることをみんなすごく喜んでいるから」と。

 

これから紅葉の美しい季節です。紅葉が終わる頃初雪が降ります。ここの自然が大好きになり、次々に引っ越してくる人たちがいます。それで原村だけは人口が増加しつづけています。子供たちを自然の中で育てたいという若いご夫婦もいますが、引っ越してくる方のほとんどがリタイア後の方たちで、限界集落という言葉がそのまま当てはまる高齢者です。

友人のひとりがリーダーとなり、これからのことをどうサポートしていけばいいのか、真剣に考えてくれています。たまにこの辺りの気心の知れた人たちが集まってさまざまにアイデアを出し合ったり、助け合ったりしながら暮らしています。

今夜もまたドイツに見学に行ってきた仲間の一人がパーティを開きます。これからの暮らし方、支え合い方のモデルについてドイツで学んできたことを報告してくれることになっています。

ここでの交流はいつも温かく親しみ感があって、なんだか新しい家族ができたような気持ちになります。しかも大家族。間伐も雪かきもその大家族の中の誰かがいつでも助けにやってきてくれます。なんとも素敵なところです。

2011/10/06 高瀬千図拝

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