2011/12
原因不明の恐れを捨てて

早いもので今年ももう師走。今年はほんとうに大変な年でした。
さまざまな思いを抱いて今年一年を振り返っていらっしゃる方もおいでのことと思います。私も八ヶ岳の山麓に移り住んで6年目に入りました。11月11日がその記念日です。

実を言えば、こちらに来るまではさまざまな葛藤がありました。まずは生活をどうするのか、経済的な裏付けもなく、それに山の中での一人暮らし、何が起きるか分からないという不安もありました。それでも心はこの場所に引きつけられていました。心がこの山の麓で暮らしたいと言い続けていました。

そう思いながらも私の心は日を追うにつれ『不安』や『恐れ』でいっぱいになっていました。「どうやって生きていくの? なんの保証もないでしょう」とマインドが言い続けていました。そんな時、たいていの場合、私たちは安全だと思えることを列挙して心を落ち着かせたり、勇気を出そうと自らを叱咤激励したりといった行動を取るのではないかと思います。

しかし、私の場合それとは逆でした。
『不安』や『恐れ』と向き合い、味わう、そして手放していくといったネオ心理学でやっているプロセスを実行したのです。

ヴィクトール・フランクルのロゴ・セラピーにある『恐怖突入』に似ていますが、そこには手放す、捨てていくテクニックがありません。ものすごい時間がかかるうえ、途中であまりに強い恐怖を味わうため一人で行うのはとても無理なのです。

その点、ネオ心理学のテクニックはとても楽です。私はまずは経済への不安を手放しました。次に未知の世界に住む不安を手放し、そしてつねに心のどこかに巣くっていた原因不明の恐れを手放しました。それを毎日ただ続けたのです。

とはいえ自分の現実を直視するのはかなり勇気がいります。「逃げて、ごまかして、気晴らしでもして、考えるのは明日にしよう」という気になります。でも、それでは心に巣くっている『不安』や『恐れ』はなくなりません。私自身、それがよく分かっていたので、自分の襟首を押さえつけるような気持ちで現実と向き合うことにしたのです。

なかでも一番やっかいでなかなか消えてくれなかったのは『原因不明の恐れ』でした。若い頃は大病もし、死にかけたこともありました。そのとき経験した死の恐怖が心の奥底にまだ残っていたということにも気づかされました。

その『恐れ』をほとんど捨て終わったと実感できるまで2ヶ月かかりました。やった甲斐は十分にありました。そして吉方位になるのを待ってこちらに移転したのです。
それが2006年11月11日。

今はたくさんの友人に恵まれ、なかなか完成しそうもなかった長編小説も脱稿、有能で友情厚い友人たちに助けられて仕事も順調に進展しています。

そんなわけで今、私の中にあるのはすべてに対する感謝、心から溢れ出る感謝です。みんなに助けられて、そして自分にできる最良のことを手渡して、平和で満ち足りた日々が今ここにあります。

『不安』や『恐れ』から逃げないでただ捨ててみてください。
闇に閉ざされていた心に光が降り注ぎます。

2011/12/05 高瀬千図拝

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