2013/02
矛盾した感覚

左からシジュウカラ、アトリ、コガラ、イカル。

今年はなんだか気候不順のようで寒暖の激しさに体調管理が大変ですが、お元気にお過ごしでしょうか。

左の写真は私の冬の楽しみのひとつ、我が家にやってくる小鳥たちを映したものです。
お皿に毎朝ひまわりの種を入れて出してあげます。すると、冬枯れの森がふいに騒がしくなり、どこで見ているのかいっせいに降りてきては種をついばみ、また枝に移り、めまぐるしいばかりです。

左側の小鳥はシジュウカラ、オレンジがかった羽はアトリ。とても小さいのに一番大胆なのがコガラ。立派な黄色いくちばしを持つのはイカルです。

ここには映っていませんが、最近ツグミも来るようになり、とてもかわいいきれいな声を聞かせてくれます。カワラヒワにアカハラ、何種類の小鳥たちがやってくるのか、まだ名前の分からない鳥もいて、毎日、ただ見とれています。

キツネさんも元気です。
雪の上にはたくさんの足跡が残っていて、他にも鹿にリスにウサギの足跡、月夜の森はどうやらなかなか賑やからしいのです。

 

私はほんとうに動物が好きです。とくに野生の動物が。
与えられた『命』をただひたむきに生きているからです。

人間はそうはいきません。私は小さいときから人間というものを愛しつつ、しかし、現実には人間嫌いという矛盾した感覚を持っていました。

というのも小さいときから体が弱くて、外で遊べない分、本の虫で、本が唯一ほんとうの友だちでした。文学や伝記で出会う人たちは感受性が豊かで、苦難をひたむきに超えていく勇気と、善き者でありたい、心正しい人間でありたい、という気高さを持っていました。

しかし、現実に出会う人たちはなかなかそうもいかなくて、今学校で起きている問題は私の時代にもありました。教師とか教育委員とかいう人たちは、決して子供好きでも子供たちを愛しているわけでもなく、職業として割り切っている人が多かったように思います。

 

教員になりたくて大学に行き、教生実習で中学校に行ったとき、子供たちはほんとに楽しくて面白くて、授業はいつも活気に満ちていました。しかし、職員室に戻るとそうはいきません。私の指導担当になった女性教師は、「教師は休みも多いし、恩給はつくし、割のいい仕事よ」と恥もなく言う人でした。

 

職員室の空気が私にはどうにもなじめず、子供たちは大好きでしたが、教師になる夢は捨てました。
つらい選択でした。

今でもあの時、あの職員室と教師たちの中で、なんとか我慢ができなかったのだろうかと自問します。答えは「やっぱり無理」です。

 

それでも今もまだ子供たちのことで何かできることはないかと思いを巡らしています。楽しくて面白くて、そして心がまっすぐに育つようなそんな環境は作れないのか、と。

子供はいつの時代もまっさらで生まれてきます。どんな環境であれ、どんな時代であれ、彼らはまっさらでやってきます。

問題は大人が作っています。嘘と偽善と見栄と外聞、競争に嫉妬、コントロール。

私たちの現実が子供たちの問題を引き起こしていることに間違いはありません。今も日々、自らに問いかけ続けています。

子供たちが恐怖なく、不安なく、自由で楽しく学ぶことのできる環境をどうにか作り出せないものか、それには何をどうしたらいいのか、と。

2013/02/05 高瀬千図拝

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