2014/11
生かされている奇跡

富山県中央植物園 秋

あちこちから雪の便りが届く季節になりました。立山も少しずつ白くなり始めています。

この写真は富山県中央植物園の今の様子です。モミジ、プラタナス、銀杏やドウダンなど鮮やかに色づき始めています。
ところで最近とても面白い本を読みました。

『ありのままで生きる』(マキノ出版)

という、二人の科学者の対談集です。副題は『天と人をつなぐ法則』。矢作さんは東大医学部救急医学分野教授、保江さんはノートルダム清心女子大学教授職にある理論物理学者です。

どちらも第一線で活躍されている科学者ですが、死について、死後の世界について、魂と霊について、ご自身の体験を含めてのお話は科学者同士ということもあり、節度と知性とに裏打ちされていてなかなか興味深いものになっています。

同様の経験を私もしていますが、あまり公言してきませんでした。
実は24才の時に一度死の間際まで行ったことがあります。

ペニシリンによるアナフラキシー・ショックで心臓も呼吸も停止するという体験です。生還できたのは偶然が重なったからでした。

たまたまフラッとそのクリニックに立ち寄った別の病院の先生の往診カバンに必要な処置薬が入っていたのです。クリニックにはそれがありませんでした。

ただその先生は自分の往診カバンにそんな薬を入れた覚えがないので、不思議で仕方がないと仰っていました。そして一晩中点滴を受けて回復しました。

先日初めて行った眼科で、そこの先生に私がペニシリンアレルギーであること、また24才の時にアナフラキシー・ショックを起こした話をしたら、

「あなたはほんとに強運の持ち主ですね。そのころはそれでたくさんの方が亡くなったのですよ」

と言われ驚きました。
というのも、若くして死にかけた経験から、私は自分を運のない人間だと思い込んでいたからです。
(五黄殺での移転の結果です!)
その時、心筋の一部が切れて脈のコントロールが利かなくなり、時に心臓が痙攣するほどになって何度も救急病院に運び込まれました。

その結果、ひどいパニック障害に長い間苦しむことになりました。

しかし、27才の時、むろん医師には絶対に無理だと反対されたのですが、私自身は死を覚悟して長女を出産しました。

出産予定日が近づいたとき、手紙やノート類をすべて焼き捨て、押し入れの中もきれいに拭きあげ、死んだ時に人に見られても恥ずかしくないようにと準備万端整えました。

未婚での出産。
両親からも見捨てられ、世間からも非難され、貧しく孤独で、その上私自身は心不全。何重苦かの出産でした。でも、娘の産声を聞き、私も生きていることを確認した時はただただ天に感謝しました。空に千の太陽が輝いたような喜びのなかで、何の不足もない、と思いました。

完璧な幸福。
動脈が切れ大量出血で即手術という状態にもかかわらず、私は至福の中にいました。
そんな体験からいつも『大いなる者』に生かされているという感覚が消えません。

どうしたら私はそれに応えられるのか、そんなことを思いながらこの齢まで生きてきました。

『生きていることは当たり前のことではない』

という、そのことに気づくと人の感覚は明らかに鋭敏になります。
「あなたはどうしてそんなに生き急ぐの」とか
「そんなに思いつめて生きてどうするの」とか

言われたことが度々ありました。

答えは簡単です。
こんなにも愛おしい命、一日一日が私には奇跡なのです。

2014/11/06 高瀬千図拝

 

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