2014/12
日本の本来の姿

称名滝 休憩所

この写真は 称名滝しょうみょうだき のそばの休憩所。

名所にありがちな雑多な商品を並べたお土産屋や看板などがいっさいありません。できるだけ自然の景観を壊さないよう配慮されています。

それが私の目にはなんとも心地よくてしばしば訪ねていますが、11月半ばから4月末までは雪と氷に閉ざされて近づくことができません。

 

それで思い出すのが、渡辺京二著『逝きし世の面影』(平凡社刊)という本です。ここには、江戸後期から明治初期にかけて日本を訪れた外国人が書き残した膨大な『日本印象記』が引用され、詳細な日本論が展開されています。大変な労作ですが、今や10万部を超えるベスト・セラーとなっています。

幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の日本と日本人への印象はどうだったのか。イザベラ・バードやモースなどはいくらか翻訳されていますが、

 

オズボーン、ジョージ・スミス、トロンソン、ティリーなどの著作は開国直後の観察と証言を含み、ジェフソン・エルマースト、アーノルドなどの滞日記は優れた内容を備えているにもかかわらず、いまだに翻訳されていないのは謎というほかはない

 

状況だと渡辺氏は述べています。

この『逝きし世の面影』にはいまだに翻訳されていないものがたくさん取り上げられていて、私たちのかつての姿を知ることのできる貴重な資料的役割も果たしています。この本を読むとやはり敗戦後の教育で、いかに私たち日本人の意識が汚染されてしまったかに気づかされます。

また明治以降も日本の知識人は日本否定、日本人批判が大好きで、自らの文化を顧みようとはしませんでした。ですから自国の文化論というものが存在しないという不思議な状況になっています。

そして今もその傾向は変わりません。
欧米コンプレックスは日本の知識人によって醸成されたものと言っても過言ではありません。

しかも今や日本の文化は『商業主義(儲かればいい主義)』によって、非常に幼稚で拙劣、グロテスクな変容を遂げています。

またそれをリードしているのが奇妙な知識人(およびメディア)だというのも明治のころと不思議な一致を見せています。そんな現代に生きる私たちが自分の原型について知ることは、充分に価値があり必要なことだと私は思います。

本来の私たちがどんな姿をし、どんな人種であり、どんな意識を持っていたのか、皮肉なことに、当時日本を訪れた西洋人の記録によってしか知ることができません。

しかし、そこに語られている日本人はなんとも陽気で冗談が好きで人懐っこいのです。外国人に対しても物怖じせず、好奇心旺盛。どんな田舎に行ってもとても親切にされたと誰もが異口同音に語っています。

しかも、どんなに貧しい家でも台所も部屋も驚くほど無駄がなく清潔で、藁葺屋根の農家の周りはまるで妖精が住む世界のように美しかった、と。

この風景の美しさは江戸でも変わらず、世界でも類のない見事な田園都市を形成していたと言います。

日本の男たちは(幕府の役人以外)顔はむしろ醜い(失礼!)が、親切で陽気で正直、つい抱きしめたくなるほどだったし、また日本女性は美しい人が多く、時にダヴィンチのマドンナのような人にも出会ったと語っています。

かつての日本人についてのさまざまなエピソード満載のこの本、冬の夜長にぜひ開いてみてください。この国の本来の姿と、寛容で陽気な人々に出会う感動が待っています。

2014/12/06 高瀬千図拝

 

 

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