この写真は私が撮ったものではないのですが、先日、海岸に散歩に出かけたときに見かけた鳥にそっくりなのです。
名前は分かりません。
その他にカモメや鴨、セキレイなども波の静かな入り江で遊び、お蔭で心和むひとときを過ごしました。
この一年、新たな書き下ろしにかかっていて、毎日執筆に明け暮れています。
かつて手で書いていたころひどい腱鞘炎になり、それでついにワープロに切り替えました。書いては打ち込み、打ち込んでは書くという繰り返しで、二年ほどかけて少しずつ自分の感覚を慣らしていきました。
手の負担はパソコンの方が軽くていいのですが、それでも夢中になって書いていたら右の人差し指が突き指でもしたように腫れてきて、今はテープを巻いたり、プロテクターをしたりして痛みをごまかしつつ書いています。
それで思い出すのは、かつて私の師であった故森敦先生の言葉です。
「君、書くというのは、これは中毒だね」と。
先生は体を壊されひどく消耗していらしたのですが、それでも文学界の連載を続け、とうとう連載の半ば、静脈瘤破裂で亡くなってしまいました。
あの日、そのニュースがNHKのテロップで流れたと作家の小島信夫さんから電話をいただき、テレビを着けていなかった私は驚いて新宿の病院に走りました。
手遅れでした。
ほんとうに悲しくて遺体にすがって子供のように声を上げて泣きました。
私には実の父親のような方でしたから。
ことほど左様に書くというのはまさに中毒なのです。
書くことだけでなく、自己表現というのはそんな力を持っていて、いったん自己表現の方法を身に着けた者はいつの間にか表現することがそのまま自分のアイデンティティになってしまっている、ということだろうと思います。
かつて私は自分の才能の無さ、表現者としての無能さに絶望してもう書くのは止めようと決めた時期がありました。
しかし、その二年間、何をやっても心に空いた空洞は埋まりませんでした。あまりに虚しくて、それでようやく書かない私は私ではないと気がつきました。
完成を諦めていた作品にまた戻り、五年かけて書き上げたときは二千枚になっており、あまりに長すぎるという理由で出版は見送られ、そんなことでその時はかなり落ち込みましたが、それでも書かずにはいられないのです。
これはもはや病気のようなもの、つまりまさに『中毒』なのです。ここまで来てようやく書くことが私なのだと腑に落ちてきて、出版されようとされまいと関係なく書きたいものを書き続けています。
今書いている物も八割方まで進んでいるのですが、最後のひと踏ん張りというところで、とうとう体調不良に陥ってしまいました。
小説を書くにはほんとうに暴力的ともいえるエネルギーが必要で、よほど注意していても激しく消耗してしまいます。
長時間の座業に耐えられるよう筋トレを毎日行い、ストレッチを丁寧にやり、食事は野菜中心にして、ほとんど修行僧のような毎日を送っているのですが、消耗は激しくて、ある朝、起き上がることができない、という状態になっていました。
しかし、もう一度体を立て直してラストスパートを掛けようと思っています。今年で七十歳、文壇に出てから三十年。ようやく自分が書く世界が見えてきたところです。
2015/03/06 高瀬千図拝