2015/04
心が嫌だということはしない

今年はいつまでも寒く、四月に入っても花冷えの日が続いています。

桜は温度の積算が一定レベルに達すると咲く、と聞きました。そのどこに積算を記録しているのでしょう。生き物が持つ真の知性、その凄さに心打たれます。
 

最近になってしばしば思い出すのは 原田正純はらだ まさずみ 先生のことです。原田先生は熊大医学部助手時代、 水俣みなまた の水銀問題に医師として真正面から向き合った方です。

胎児性水俣病たいじせいみなまたびょう を突き止めた医学者であり、『水俣が映す世界』という著作で 大佛次郎賞おさらぎじろうしょう を受賞されています。

当時は厚生省も元凶の会社も水銀汚染と水俣の人々の病状の関連を認めず、抗議の人々にさまざまな形で暴力が振るわれ、水俣湾には汚水が垂れ流されていたるところに魚の死骸が浮いている、凄惨な光景をたびたびテレビで見ました。
 

ある時、能の仕事で訪れたブラジルで私は奇妙な話を聞きました。

アマゾンの水銀汚染です。
1980年代のアマゾンでは砂金が採れました。採取の方法は砂に水銀を流し込んでアマルガムにし、それをバーナーで熱して水銀を気化させるというものです。水銀が気化した後には金だけが残ります。

その結果、アマゾンでは気化した大量の水銀が川に流れ込み、重篤な水銀汚染を引き起こしていたのです。

当時のブラジルは非常に治安が悪く、取材にはどの新聞社も行きたがらず、結局私が単独で行くことになりました。どこからも取材費も出なかったので、なけなしの貯金をはたいてブラジルに渡り、通訳とセスナをチャーターしてアマゾンに飛びました。
(後にこれは朝日ジャーナルに掲載されました。)
 

いかにして水銀汚染の実態をつかむのか、その方法をご教示いただいたのが原田先生でした。

そこの住民の髪の毛を採取し、それに性別、年齢、仕事、場所、年月日等々をきちんと記録するのです。アマゾンの奥地からベネズエラの国境まで、私は様々な人々の髪の毛を採取して日本に持ち帰りました。

原田先生が分析してくださった結果、非常に重篤で危険なレベルの水銀汚染が発生していることが判明し、その救済のため先生は日本の厚生省から治療薬、国際環境会議での報告、水俣の方々との情報交換など、さまざまに奔走してくださいました。

そうして、ミナマタとアマゾンがつながったのです。

その原田先生を紹介してくれたのは、私の高校時代の同級生、福岡で『葦書房あししょぼう』を経営していた 久本三多ひさもと さんた です。

彼は原田先生のことを

「どんな暴力にも、官憲の圧力にも負けず、水俣の人たちに寄り添った医師で、ほんとうに強い人だ。彼に会え」

と言いました。ところが、実際に先生に会ってみるとほんとうにやさしい穏やかな方で、強い人、という印象はどこにもありませんでした。

先生に久本三多が言った『強い人』の話をすると、笑ってこう答えてくださいました。

「僕は強いんじゃないんです。水俣の人たちがほんとうに好きで、何があっても彼らを裏切ることができなかった。心が嫌だということができなかっただけなんです」

と。
『心が嫌だということはしない』という先生の言葉、かくもシンプルなことがどんな嫌がらせにも暴力にも負けない真の強さの源泉であったということを知って、私は深い衝撃と感動を覚えました。

先生の奥さまの言葉も心に残っています。

「主人は誰に対しても、どんな人に対しても同じ態度、同じ人でした。だから何があっても主人を心から尊敬しています」

今も先生のやさしさ、暖かな眼差しは、私の脳裏にくっきりと刻まれ、風化することがありません。

2015/04/06 高瀬千図拝

 

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水俣が映す世界

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