2015/07
人はどこまで人を愛せるのか

クレマチス

これは富山県立中央植物園で撮影したクレマチスです。

植物画を習い始めて一年、今は白い紙に白い花を描くというのが目標になっています。

もちろん至難の業で、描いては失敗し、また一からやり直す、ということを続けています。
 

先月ご紹介したトリイ・ヘイデンの本のひとつ『檻の中の子』について、人間の心の奥底に潜む愛の深さに心打たれたという話をしましたが、これはその続きです。

人間が持つ可能性というものにあまりにも感動したので。

この少年は7才のとき継父の虐待と暴力によって瀕死の重傷を負い病院に運ばれました。奇跡的に一命を取り留めたものの母親は養育を放棄。それ以後は州の管理下に置かれ18才まで施設で育ちました。

本来事件になるはずのところを、母親が夫の暴力の痕跡を消し、証拠を隠滅したため継父はただ軽犯罪に問われただけでした。

トリイがこの少年に出会ったとき、彼は選択的無言症という誰ともいっさい口をきかず、テーブルの下に隠れ、周囲を椅子で取り囲み、そこから出ることすらできない状態でした。

『檻の中の子』のタイトルはそこから来ています。

彼が話すのを聞いた人間はいず、当時5才だった妹の証言があるばかりでした。たくさんの恐怖症を抱え、時に凄まじく暴力的になるため隔離室にいれられることも度々でした。
 

知能も遅れていると判断されていたのですが、トリイの忍耐強いアプローチによって、実は類まれな絵の才能を持ち、話したいという欲求も持っていることが分かってきます。

水を極度に怖がるので収監されてから8年間、一度も体を洗ったことがなく汚れきった体は思春期特有の悪臭を放っていました。
 

それでもトリイは彼と一緒にテーブルの下に潜り込み、気の遠くなるような忍耐と努力によって彼からとうとう話すという能力を引き出します。
 

調べるにつれて少年が継父の暴力で瀕死の重傷を負っただけでなく、彼の目の前で妹が継父に性的、暴力的虐待を受けたうえ、想像を絶する残忍な殺され方をしたことなどが徐々に明らかになっていきます。

少年は自らの精神が崩壊するほどの悲しみと苦しみ、そして憎しみを心の奥に閉じ込めるために選択したのが無言症だったのです。

マーフィーズ・ボーイと呼ばれたこの少年の名はケヴィン。彼が本来の彼自身、そして社会と他者との信頼関係を取り戻すまで、トリイの凄まじいまでの挑戦が始まります。

制度と法律の壁に道を塞がれ、なんども絶望と挫折を繰り返しながら、それでも彼女は決してあきらめませんでした。その彼女を支え続けたのは人間という存在に対する愛としか名づけようのないものでした。
 

人はどこまで人を愛せるのか、トリイの著作を通じて私は深く感動し、また多くのことを学びました。
 

そんな二人にもやがて自立と別れの時がやってきます。

彼は元医師夫妻に引き取られ、次第に社会にも順応していき、ごくふつうの家庭での普通の生活が始まります。念願の高校進学を果たしたケヴィン。

再会したトリイは目を見張ります。そこには長身のとてもハンサムな青年が立っていたのです。

「ケヴィン、あなたはいつからこんなにハンサムになったの」

トリイの嬉しいつぶやきが聞こえてきます。

2015/07/06 高瀬千図拝

 

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