なんだか気温差の激しいおかしな冬でした。季節感が年々薄らいでいくような気がしているのは私だけでしょうか。日本列島そのものが今も動き続けていると地震学者は言っています。大きな地震の後はその余波が少なくとも30年から50年続くとも。
かつて学んだインドのヴェーダンタ(伝統科学)では気候変動も人間の意識が関係していると言っています。今はようやくカリ・ユガという鉄の時代(徳のない人間がほとんどを占め、意識が最低になる時代)を抜けつつ、銅の時代に入ろうとしていると言われています。
カリ・ユガは人間の意識が最低レベルになり、寿命も100年が最長、今はそれが終わり、次の時代に入ろうとしているというのです。次の銅の時代に入ると今よりは徳のある人間がいくらか増え、寿命も延びると言われています。
かつて150万年前に黄金の時代があったとヴェーダンタでは言い、人は徳に満ち、平和で意識も高く、今とは比較にならないほど文化も科学も進化していたのだそうです。しかし、その時代の長さは説がいろいろあり、最長で40万年以上。気の遠くなるような時間です。
しかし、私個人はこの宇宙的時間と進化について、古代インド文化によるサイクルは、今現在の人間の中にすべて備わっていて、どう生きるかは自分で決めることができると思っています。どんな人間でありたいのか、ほんとうに望むことは何なのか、それがなんであれ、自分で決めることができると。
穏やかで思いやり深く、正直に愛情深く生きること。そう望むならばそのように生きることができます。
今の現実がどうであれ、世界がどうであれ、自らの心の中に完全な自由と平和を獲得することは不可能ではない、と思うのです。そのように生きるために学び、考え、自分の周りに他者がいて、さまざまに自分のありように気づかせてくれたり、学んだりする機会を与えてくれます。そうして自我が少しずつ育てられ、進化していく、そのために人生という時間が与えられているのだと。
愚かな人間と利口な人間の違いは知能指数などではなく、身の回りのすべてから学びとろうとする謙虚さがあるかどうかではないかと思います。学ぶ力を持った人を私は利口な人だと思います。
「私はわかっている、と思ったらヘルメットを被って歩け」といったインドのマスターがいましたが、頭ではなんでもわかっている人が、家族には平気で思いやりのない言動をする、これがヘルメットが必要な人の典型です。特に小さな子供はそれを真に受けてしまうからです。(つまらない話かもしれませんが、『お~い、お茶』というブランド名には腹が立ちます。『お~い』というのはいったい誰に言ってるの?)
話は飛びますが、個人の銃の所有率はカナダやスイスが最も高いにもかかわらず、銃による犯罪はほとんど起きません。
なぜか。
あるカナダ人いわく、「人は話し合いで解決できないことはない。銃があったとしても、人に対してそれを使う必要はまったくないということです」と。
名言です。
ただ相手に勝りたいという欲求に勝てない人が多いのも事実で、それが国家間の関係にまで拡大してしまっている今は、やはりまだカリ・ユガの時代を抜けていないのかもしれません。
2016/03/08 高瀬千図拝