2016/11
幸福の在処

ここ八ヶ岳も例年になく温かかったのですが、今朝あたりようやく霜が降りました。紅葉は目が覚めるほど美しく、葉の落ちたミズナラの木々の間からはいよいよ広く、明るい空が見えます。

11月は私のいちばん好きな月。森が眠りにつくにつれて空気は透明になり静謐さが満ちてきます。
 

昨晩、BSで京都人と月をテーマにしたドラマとドキュメンタリーを組み合わせた番組を観ていました。二十四節気、眉月まゆづきから二十六夜にじゅうろくやの月=【有り明けの月】までさまざまな名を持つ月。古今集を開いて見せられているような世界でした。
 

と、そこまではいかないのですが、私にも今もくっきりと心に残る月があります。故郷の長崎に帰ったときでした。まだ両親も若く元気で、父はサラリーマンでしたが、とくに釣りが大好きで自分の船を持っていました。小さな釣り船です。それで夏休みには大村湾の入り江で釣りをしたり、キャンプをしたり、さんざん楽しみました。

ある日のことでした。台所で母がいつもと違う夕食の支度をしていました。重箱が並べられ、お正月なみのご馳走。なんのためなのか、誰かの誕生日なのか、両親は何も言いません。

「今夜は夜釣りに行くぞ」と父が言いました。ああ、そうなんだ、と思っただけでした。夜釣りと重箱のご馳走は全くつながりません。

「支度をしなさい」と言われて、父と釣り道具の用意をしました。「家族全員分だぞ」と父、「ふうん」と私。それで夕暮れ近く私たちは父に言われるままに船に乗りました。

いつも釣りをしたり泳いだりしていた入り江に船をいれると父は錨を降ろしました。釣り道具を出し、餌をつけ、釣りが始まりました。言われるままに釣り糸を垂れるとあじがかかります。夜の海は明かりで照らすと昼間は見たこともない不思議な生き物が泳ぎ回っていたりします。

お腹が空いてきて、「ねえ、ご飯まだなの」と聞くと、「まあ、待ちなさい」と父は素知らぬ顔で釣りをしています。空は真っ暗、星が輝き始め、私はすっかりお腹がぺこぺこで不機嫌になりました。
 

しばらくすると東の空が次第に明るくなり、山肌から満月が上り始めました。まん丸な月。黄金に輝く眩しいばかりの月でした。海の面に月の光が伸びて私たちの船まで明るく照らしてくれました。

「さて、それでは、夕飯にしようか」と父が言いました。母が「はい」と答えて金の松をあしらった黒漆の五段重ねの重箱の風呂敷を解きました。船板の上に並んだこ馳走。父はビールを飲みながら上機嫌で月を眺めています。
 

言葉を失うような美しい月。ひさびさに東京から戻った娘を喜ばせたくてこんな夕餉を用意していたことを黙っていた両親。月光に浮かび上がる入り江の美しさ、船の上での月見の宴、生涯、忘れることのできない一夜でした。
 

年を取るにつれて、親がしてくれたことの意味や不器用だけど、あれも愛情の表現だったんだ、などといろいろなことが思い出されます。

原爆の影響もあり、4才まで生きないと言われた私がすっかり食欲をなくし、寝かされていた日のこと。父は会社から帰ると、炭火でトーストを焼きはじめ、本物のバターを塗ると、「これなら食べられるぞ、食べてごらん」そのすばらしくおいしそうな香りにつられて私はようやく一枚のパンを食べました。その香りを今もありありと覚えています。三つか四つの頃の話です。

70年前、貧しいけれど豊かだった日々。寒々しい話ばかりが伝わってくるこのごろ、結局、物やお金は決して人を幸福にはしないことが、身をもって知られるのです。
 

幸福は創造性のなかにあると。

2016/11/06 高瀬千図拝

 

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