2018/04/12
ただの蛇が荘厳なる蛇に変わる

小梨の花

平成30年4月某日

森敦もり あつしという方は、僕が知りうる限りで、唯一の天才です」とおっしゃったのはロケットで有名な糸川博士。九世 観世銕之丞きゅうせい かんぜてつのじょうさんがまだ襲名前、私がお手伝いしていた能の会のパンフレットにエッセイを書いていただきたいとお願いに上がったときのこと。

文学者になる前は森先生は数学を追求しておられたとご本人からうかがった。ある数学理論に行き着き、国際学会に発表する準備をしていたが、自分が発表する二、三日前にドイツの数学者が同じ理論を発表してしまった。「二番になるのはいやだと文学に転向した」とのこと。

横光 利一よこみつ りいちに師事し、太宰 治だざい おさむ や 檀 一雄だん かずおとともに 絣三人組 かすりさんにんぐみと呼ばれて東大に出入りしていた。「もぐりは僕だけ」
 

21歳の時には毎日新聞で『酩酊船よいどれぶね』を連載するという、文学でも天才級の方だった。『意味の変容』(筑摩文庫)というとても難しい内容の文学論を講談社の群像で連載されたが、それを理解する人はあまりいなかったらしい。柄谷 行人からたに こうじんさんだけが評価してくれたとのこと。

私が唯一そのなかで覚えているのは「ただの蛇が荘厳なる蛇に変わる」文学の表現について語られたところだけ。言葉はただの蛇を荘厳なる蛇に変容させる力を持つ。

これはロラン・バルトもどこかで述べていた。「文字の連なりと行間から立ち上ってくるもの」が文学だと言っていた。
 

今時はなんだかストーリー展開と軽い文章で意味の表面を滑っていくような小説がもてはやされている。読もうとしても体が拒否するような感覚で二ページも読むことが出来ない。文章は肉体を持たなくてはならないと思う。ただの蛇が荘厳なる蛇に変わる、そんな不思議なものが文体だと思う。
 

2018/04/12 高瀬千図

 

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