2018/11/08
魅惑的なラビリンス

紅葉

今年は気温差が激しかったせいか紅葉がとてもきれいでした。

明恵みょうえ 栂尾高山寺秘話とがのおこうざんじひわ』の出版以来、インタビューを受けたり、あちこちに書評が出たりして、これまでの静かすぎる毎日が少し変化しています。

と言いつつも、もう次の作品の下調べのために資料の読み込みに入っています。少し休みなさい、と主治医にも言われているのですが、生来の貧乏性で、「仕事しなくちゃ」という、いわば強迫観念が消えません。

もともと「のんびり、ゆったり」といったことがとても苦手です。何かしていなくてはいられない、典型的なワーカーホリック。戦後日本の象徴的性格の人間になってしまいました。何もしないでいると落ち着かず、ぼうっとしている時間があれば、庭の草むしり、物置の整理、掃除、保存食作り。

と言いつつ、決して勤勉な人間でもないのが不思議です。仕事に取りかかろうとすると、植木の水やりが気になり出したり、洗濯を始めたり。たまに友達が泊まりがけで遊びに来てくれるのが楽しくて、で、何を作ろうか・・・と料理の献立を考え始める。

土曜日はひとつだけ続けているクラスがあり、勉強の後はみんなで食事をします。今週は何を作ろうか、それがいわば気晴らしであり、私の道楽でもあります。
 

小説というのは、料理を作るようにはいきません。

何もないところから物語を立ち上げていくのは予想外の苦労があり、とりあえず書き出してみてから、ということになりますが、百枚書くのに、千枚捨てる作業の連続です。

書き出す前にテーマはもちろんのこと、描き出したい世界の具体的な資料に当たり、全体の構造、主人公のイメージとパーソナリティを明確にする、実在の人物であればその時代を俯瞰できるまで頭に叩き込む・・・。

書きたいものの輪郭が見えてきて、ただひたすら主人公を追いかける状態まで辿り着けたら、もうその後は書くことの至福が待っています。

たぶん、料理を作るのは、食べてくれるゲストの嬉しげな顔が自分の喜びになるからですが、書くことは、その苦しみの果てに至福の時間が待っていることがわかっているからだろうと思います。

だから、「書くのは、君、これはもう中毒だね」とは私の小説の師、森敦先生の言葉です。
 

こればかりはたぶんひとつ世界にのめり込んでいる人にしかわからないでしょう。

私の場合、書くことを始めたらもうそこから出ることはできなくなる、魅惑的なラビリンス=迷宮でもあるのです。入ったときはどこに出口があるかもわからず、不安に取りつかれながら、それがいつしか出られなくてもかまわない、になり、そうしてただ書き続ける終わりのない日々を送ることになります。

その本が出版されるかどうか、売れるかどうかなど微塵も考えません。ただ書くことのみ、それこそが自分の生きていることの証明なのです。

それでも、書くことが私、書かない私は私ではない、と気づくまで二十年かかりました。どんな仕事であれ、仕事とはそのようなものだと思います。

90歳で亡くなった葛飾北斎は臨終の床で「天が私にあと五年の命をくれたなら、ほんものの画工になれたのに」と言ったそうです。表現者の執念とはそんなものかもしれません。

これでいい、というものが最期までないのですから。

2018/11/06 高瀬千図拝

 

 

2018/11/08
魅惑的なラビリンス
」への2件のフィードバック

  1. たまたま書店で『明恵』の名が目に入り読み初め、どんな、作家さんなんだろうと思い、ホームページにたどりつきました。やっぱり思っていたとおりの雰囲気でした☺次回の作品楽しみにしています

    1. ありがとうございます。
      またも難題に取り組み始めました。
      性懲りもなく、です。

      これからもよろしくお願いいたします。
                              高瀬千図

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