日本人の誇り

著者:藤原正彦
出版社:文藝春秋
 

この著者は先に『国家の品格』で200万部という空前のベストセラーとなりましたので、どなたもよくご存じだと思います。

御茶ノ水女子大学名誉教授で数学者の藤原正彦氏です。私より二歳年上で、ほぼ同世代。第二次大戦後、この国の文化も意識も崩壊していく過程を目撃した、という点でいくつか共通した経験を持っています。
 

この著書ではなぜ私たちがもともと持っていたはずの誇りやアイデンティティを喪失してしまったのか、敗戦後行われた戦勝国による東京裁判という、不当で差別的な弾劾裁判がいかなる性質のものであったのか、またアメリカの日本における戦後処理がいかに巧妙に仕組まれたものであったかを明らかにしてくれます。
 

私自身もまた自分が受けた『人の能力はみな同じ』という戦後の教育のあり方、周囲の大人たちの考え方にたくさんの疑問を抱いて大きくなりました。

拙著『誰にも知られず問題を100%解決する法』のなかでも触れましたが、1945年8月の敗戦からこの国はまるで魂の抜けた、自分のことに責任を取るという社会人として当然のアカウンタビリティ(責任)を喪失した三流国に堕してしまいました。
 

原因のひとつに戦後教育があります。私たちは戦後、自分の国を侵略的で覇権主義的な恥ずべき国、民主主義も知らない遅れた野蛮な国だと教育されてきました。

そんな教育をしたのが日教組の教員たちです。

彼らはアメリカ式民主主義に飛びつき、アメリカの戦後政策のひとつ『罪意識扶植計画』の御先棒担おさきぼうかつぎをやってのけたのです。

子供を育てる重要な仕事であり、聖職だとされてきた教師の職をただの労働者に貶めた元凶でもあります。
 

なぜこんな国、こんな国民になってしまったのか。
この『日本人の誇り』を読んだら、その理由がよくわかります。

私たちはもともと自信のない劣等感の強い民族ではありませんでした。貧しいながら自国に誇りを持ち、日本人として恥ずかしくない生き方をするというのが一般的な常識でもありました。

それが愛国心をただナショナリズム=国家主義と訳したところに問題発生の原因のひとつがあります。その意味するところをきちんと検証もせず、いい加減な英和辞典を何の疑いもなく引き写しただけです。
 

結果的にこのずさんであいまいな解釈が、愛国心がまるで右翼的なショービニズム思想と同様のものでもあるかのような風潮を醸成してしまいました。その問題点について、この著書では詳しく言及しています。

つまり、愛国心と一口に言ってもそれは『醜いナショナリズムと美しいパトリオティズム』に分かれると氏は指摘しています。

パトリオティズムとは郷土愛、祖国愛、民族が持つ伝統や文化に対する愛のことです。祖国を愛するという当然で、とても自然なことを意味しています。

しかし、物事を深く検証せず、なんとなく曖昧にしてしまう国民性が裏目に出たのでしょう。愛国心はナショナリズムという醜く偏狭な国家主義と混同されてしまいました。
 

敗戦後のアメリカGHQの政策方針通り、自信喪失、劣等感の醸成が功を奏したのか、国際的な場でも政治家の多くが、国の立場や権利についてきちんと主張できず、周囲の顔色をうかがいながら自虐的で自己批判的な言辞で逃げ切ろうとしたり、ごまかそうとしたりしています。

内心ビクついているのが透けて見えてしまうのは、この国の人間として誠に情けないと思います。

血税で彼らを養っているのは、彼らの権益を守るためではありません。

他国に気に入られるように、韓国、中国を刺激しないように、おそらく官僚総動員で草稿を練ったのでしょう。どこにも人の心を打つような説得力や熱気がありません。品位もありません。

一人の人間の意識や情熱がスピーチを生きたものにするのです。何人かで書かれたり、訳されたものは人の心に届いてきません。文字が躍っているだけです。

その人の人となりを彷彿とさせる、それがスピーチの魅力なのですが、自信のない、自らのアイデンティティもあいまいな人では、それも無理というものでしょう。
 

しかし、この国はもともとこんな情けない国ではありませんでした。

能とかかわるようになったこともあり、私は大正時代に日本大使としてこの国に滞在した詩人ポール・クローデルの『朝日の中の黒い鳥』を愛読書のひとつにしています。

彼の日本論は私の心に強く響きました。実は私はこの著作を通して初めてと言ってもいい、自分が生まれた国、美しい古い日本に出会うことができたのは皮肉なことでもあります。

それだけではありません。

明治六年に日本を訪れた世界屈指の日本研究家となったイギリス人バジル・チェンバレンの

この国のあらゆる社会階級は社会的には比較的平等である。金持ちは高ぶらず、貧乏人は卑下しない。・・・ほんものの平等精神、われわれはみな同じ人間だと心底から信じる心が、社会の隅々まで浸透しているのである。

という証言にどれほど安堵の思いを深くしたことか・・・。
 

私はこの国を深く愛しています。

すばらしい伝統文化、美しい山河、惻隠そくいんの情という深くてさりげない他者への心遣い、古い日本が持っていたたくさんの美徳。数えたらきりがありません。
 

それに士農工商をただの階級差別だというのは間違いです。

これは社会的な機能、分際を明確にするという側面も持っていました。その証拠に江戸期など一番低い階級に置かれた商、商人が実質的な力を持っていました。貧しい武士に限らず大名クラスまで豊かな商人に借金をしているくらいです。

奴隷制度を持つ国がアフリカから拉致してきた人々をただで労働力として利用して国家を築き上げた国とは事情がまったく違うのです。
 

おそらくこの国の階級制度はそのような国の人々には理解が及ばないかもしれません。
 

かつてヨーロッパ人を熱狂させたジャポニスム、バジル・チェンバレンやエドワード・モースやポール・クローデルが愛してやまなかった古い日本の美と日本民族の美しい考え方や身の処し方など、今またほんとうの私たちの姿というものをきちんと思い出すときが来たと私個人は思っています。
 

私たちがもう一度自分の祖国を思い出す、その手助けとなる心強い本がこの『日本人の誇り』や同じ著者による『国家の品格』です。
 

日本人の常識としてぜひご一読ください。自分のことがもっとわかるようになります。