龍になった女―北条政子の真実―(2015年12月)

出版社:文蔵BOOKS
 

歴史上、北条政子ほど数奇な運命を辿り、また中世から現代にいたるまで正しく理解も評価もされてこなかった女性もいないのではないかと思う。

なにゆえ政子は鬼女のごとく人々の口に膾炙かいしゃされてきたのか。彼女の悪評は儒教的価値観や父権的かつ封建的な社会でさらに顕著となる。血も涙もない女、女だてらに尼将軍などと呼ばれ、男たちの社会に君臨した野心に凝り固まった不埒な人間というわけである。

たしかに政子は頼朝亡き後、坂東武者の先頭に立って統括し、数々の陰謀を暴いて執権や将軍職を守り抜いた。特に女性に対して抑圧の厳しかった中世、女には名前すらなかった時代に親に逆らい、流人のもとに走るという無謀な行為にも出ている。
 

北条政子は伊豆の片田舎の小豪族の娘として生まれ、本来なら名もなき者として生きて死んでいく運命だった。しかし、石橋山の合戦から鎌倉草創期、三上皇配流という前代未聞の終結を見た承久の乱までの記録として『吾妻鏡』をつぶさに見ていくと、これまでの政子像がいかに男性社会、また儒教的な思想によって歪められてきたかが見えてくる。

政子は自らの子四人をすべて失うという悲劇に見舞われている。伊豆の流人であった頼朝との出会いがなければ、想像を絶する時代の奔流に巻き込まれることもなかっただろう。

しかし、時代は政子を必要とした、としか私には思われない。すべての歴史は男たちの戦勝記録である。それでも政子の言動と業績は吾妻鏡に記録せざるを得ないほどのものだった。

もし時代や男たちに盲従することを拒否して生きなければ、もし政子に優れた能力と器量が備わっていなかったら、また大地に根を張る巨木のような大いなる母性がなかったら、政子もまた歴史にその名が残ることもなく、頼朝が通う女たちのひとりとして終わっていたにちがいない。その姿はあたかもエリザベス一世を彷彿とさせる。
 

歴史的な出来事を時系列的に追いながら政子の言動、残された手紙などを辿ってみると、一見女丈夫と見えつつ、実はその知力と感受性ゆえに内的葛藤も人一倍激しかったのではないか、また坂東武者の棟梁である頼朝の妻として、決して人に知られてはならない彼女の内なる顔があったのではないか、と思えてくるのである。

真実の北条政子に出会うため、私は記録を辿りつつこの時代を旅した。その結果、そこには今もなお私たちに熱い共感と生きる勇気を与えてくれる政子がいたのである。

龍になった女-北条政子の真実- まえがき より転載

【『龍になった女―北条政子の真実―』の書評】
・歴史時代作家クラブ 掲載書評