2017/12
成熟した人間関係

ブルーボトル

もう12月。年をとるにつれて月日の流れがどんどん速くなっていく気がします。

そんな日々、とても共感を覚えたのは日本画家・堀文子さんの『ことば ひとりで生きる』(求龍堂刊)でした。堀さんの絵はもとより大好きですが、この本でますますこの方が好きになりました。

人は一人で生まれ、一人で死んでいくとはよく言われることですが、一人で死んでいくことを真に迫って感じ取ろうという志は、なかなか持てそうで持てないことのひとつかもしれません。

私も42才で離婚し、二人の娘をどうにか育て上げ、そして今は八ヶ岳の麓でひとりで暮らしています。娘たちはいつでも一緒に暮らそうと言い、また私が死ぬまでそばにいると言ってはくれますが、できれば命の尽きる最期のときまできちんと自分で自分の身の始末をつけたいと願っています。
 

そんな私は若い頃しばしば「ほんとうに可愛げがない」と言われました。そんなことを言うのはもちろん男性です。なにが可愛いと言われるものか私にはわからなかったし、今もなにかそこには品性を欠くものを感じてしまいます。それがいかに無神経で差別的な発言か言っている本人は気づいていないのでしょう。

つまり自分に依存してくる人間は可愛くて、依存したがらない人間は可愛くない、と言っているのです。『支配と依存』の関係のわかりやすい例です。

しかし、見てのとおり『依存と支配』はコインの裏表。実は同じものです。支配している側にいる人は気づいているかどうか、依存的な人というのは実は依存することによって他人を支配(コントロール)します。相手の信頼と愛情をなんらかの形で証明させようとするのです。

子供であればわざと親に反抗して自分に注意を向けさせようとする、これと同じものです。

相手の関心を引くための意識的、無意識的な行動なのですが、このような駆け引きめいたことが私は生来嫌いでした。

心配させる、心配だと言う、これもコントロールの一種です。これによって相手の心の自由を束縛しているのですが、やっている本人はそれを愛情ゆえのものだと信じ込んでいます。このタイプは束縛もまた愛情のひとつだと信じこんでいるのでやっかいです。

これらはすべて未成熟な人間に多くみられる傾向ですが、それがあたかも常識のように今もまかり通っています。

戦前から現代まで、映画の世界や大衆文化の世界では、いわば恋愛至上主義的な幼稚な恋愛ものが氾濫しています。手前勝手な価値判断で動くストーカーも増えました。これは私の若い頃には存在しなかったもののひとつです。
 

成熟した人間関係には相互理解と信頼、尊敬があります。相手の判断と行動を離れていようといまいと信頼しきっています。なぜならもっとも理解し合う関係であることを知っている者同士だからです。男女にかぎらず、親子でもこれは同じことです。

束縛ではなく、なぜ互いに応援者になれないのだろうと思います。理想など言っているつもりはありません。これが今、成熟した社会では社会通念となりつつあるからです。

2017/12/06 高瀬千図拝

 

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