先日、面白い番組を観ました。
アメリカの心理学者のエリザベス・ロフタス博士の記憶に関する講演です。
人はいつも自分の思い込みで外界を見ています。思い込みというほど強いものでなくても、ほとんどが過去に蓄積された記憶と情報、情報によって造られた概念でものを見ているのですが、記憶に関しては、それが自分の身に実際に起きたこと、自分が見たことや聞いたことという前提に立っています。
つまり【実際の体験や見たことに関する記憶=事実】だということになっています。
しかし、それに疑問を投げかけ、その前提を覆したのがロフタス博士の研究でした。記憶というものは、実はその時の誘導の仕方や意図的な暗示、意図しなくてもその時使われた言葉で変化する、ということを突き止めたのです。
これを『虚偽記憶』と言います。これは『嘘』とは明確に異なります。
『嘘』には意図がありますが、『虚偽記憶』は嘘ではなく、実際に体験された事実という姿をしているのです。実際、検証に使われたひとつの例は事故を起こして横倒しになった車についての目撃証言でした。後日、目撃した証人を被験者として二つのグループに分け証言を求めたのですが、その時、
Aグループには「街灯に激突した車・・・」
Bグループには「街灯にぶつかった車・・・」
と表現しました。
するとAグループは
「車は60キロ以上のスピードを出していた。フロントガラスまで割れていた」と証言し、
Bグループは
「車は50キロくらいで街灯にぶつかって横倒しになった」と証言したのです。
現場の写真を見ると、フロントガラスは割れていませんでした。
記憶は造られる、『虚偽記憶』というものが存在することを博士が証明した成果は小さくありません。
ことに犯罪においては目撃者の証言は犯人の特定に決定的証拠として扱われます。しかし、博士が冤罪で収監された300人について追跡調査をしたところ、目撃者に与えたなんらかの言葉やイメージで、記憶の中の犯人像は別人にすり替わることも証明されました。冤罪の発生です。
人の記憶の不思議。
この研究はこれから先、マインドコントロールからの離脱を助ける際にも役立つかもしれません。しかし、記憶の書き換えが操作できるとなると、さらにまたさまざまな意図で私たちの記憶がコントロールされる可能性も出てきます。
情報が氾濫する現代、信じ込みによって間違った判断をさせられてしまう、間違った方向に誘導されるということは充分にあり得ます。
かつて仮想敵国を想定した公文書が存在しました。今も国際間の緊張を伝えるニュースが飛び込んできます。否定的な情報を与えられるうちに、相手に対して否定的概念を抱くというのは日常的にもあることです。
これは用心しなくてはなりません。ここには『虚偽記憶』が醸成される環境があるからです。「私は確かに見た」ことも疑う必要があるなら、ましてや「聞いた」「テレビで見た」といった情報の信憑性は、まずは徹底した懐疑主義と理性できちんと見直す必要があります。
いずれにしても、私たちはまず無用の恐怖だけは持たないことが肝要だろうと思います。
2014/03/06 高瀬千図拝