2017/08
私なりの贅沢

富山環水公園

猛暑と豪雨の夏、皆さまお変わりなくお過ごしでしょうか。先日、久しぶりに富山に行ってきました。

写真は富山環水公園、運河になっていてここからボートで富山湾に出ることもできます。ここの水辺には世界一美しいとされるスタバがあります。

植物画を一緒に学んでいたころの懐かしい友達が出迎えてくれ、時間など存在しなかったかのようにいつも通りのランチとおしゃべり。富山はとにかくグルメの街で、どこにはいってもリーズナブルで美味しい料理に出会えます。

 

プージャがいなくなってなんだか一人でぼんやりしていた一ヶ月。思い出すとまた涙が出て来る日々。友達に「もう泣いちゃダメ。プージャは楽しいことが好きだったんだから」と言われて、たしかにその通りだと思い直し、ようやく動く気になりました。

京都へのひとり旅ではなにかしら異次元に迷い込んだような、時空間を超えたような感覚に陥りました。清滝川の蛍、鎌倉時代から変わらない高山寺の佇まい。小さなお店がそれぞれ意匠を凝らして並ぶ町並み。そこには今や東京から消えてしまった風景がありました。つくづく京都は一人旅に限ると思いました。街と自分とがじかに触れ合える、そんな気がしたからです。それにまた私は一人でいることが好きで、むしろ人中にいるほうが苦痛なほうです。

 

それとつながるのかもしれませんが、しばしば友人たちに「どうしてこんな寂しい森のなかで一人で暮らしているのか」と聞かれます。私はそのたびに説明するのがだんだん億劫になってきました。この森の豊かさ、静謐さ、満ち満ちるエネルギーがどうして分からないのかな、と思いつつ黙っています。

四季を通じて、またその日その日、違った姿で私を驚かせてくれる美しい森の佇まい。その中で暮らし、呼吸している自分がどんなに幸せか、説明するのも疲れる話です。雪の朝の黄金のかがやき。枝に宿る露の一滴一滴に宿る虹のきらめき。雪の上には小さな動物の足跡。鹿にウサギ、狐。それを見るだけで何かとてもいとおしくなるのです。

ここに住むようになって18年、少しずつ育ててきた花木が季節ごとに花を付けるようになりました。春、スノードロップが雪を割って咲き始め、そして淡いピンクのマグノリアが銀色の蕾を膨らませ、庭は日々目覚ましい変化を見せて春を歌い始めます。オオデマリは白い花をつけ、やがて忘れな草の青い花が地面を覆いつくします。

そのひとつひとつが私の喜びになっていきます。今の季節、ヤマボウシの花が終わり、小さな青い実になり、ナツロウバイが白くたおやかな大輪の花を次々に咲かせ、そして多種多様な紫陽花が庭を彩り始めています。毎日見ていて飽きることがありません。

 

どこへ行こうとこの森に帰ってくる、ということが私の心を慰め、豊かにしてくれます。遠くに暮らす子どもたちにとってもこの森は母親の住む場所、帰っていく故郷になっています。帰っていく場所があるということが実は見えないところで人の心を支えてもいるとも思います。自分が育ち、育てられた場所はいつになってもその人の心と体から切り離すことができません。

それでいえば私は海のそばで、自然が豊かな小さな村で生まれ育ちました。毎日、玄関を出るたびに「なんて美しいのだろう」と辺りの景色を見て思いました。山の端に昇る太陽、金色に染まる大気、海が近いせいで干満につれて流れの変わる豊かな川、朝靄のたゆたう緑の野山。それを見ているだけで私の心は喜びでいっぱいになりました。自然に対する感受性が培われたのはそんな故郷のおかげです。

今はただ自然の中で暮らすという私なりの贅沢をひたすら味わい尽くしたいと思っています。

2017/08/06 高瀬千図拝

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