富山はようやく雪。関東にも押し寄せた寒波の影響です。それでもたいしたこともなく、今朝ほど買い物に出かけてみたら、昨日から降り続いた雪はすでに溶けていました。融雪装置から小さな噴水が上がり、溶かしているのです。
最近、富山で驚いたのは一般の家庭に天神様が祀られ、一月二十五日には天神講といって床の間に天神様の姿を描いた掛け軸か木像を飾り、お供え物をして祈る習慣があることです。
天神様とはご存じのとおり菅原道真のこと。
私も以前長編小説『道真』を出版したり、新作能『道真』を書いたこともあり、少なからぬご縁のある方です。お膝元の福岡の大宰府ならいざ知らず、なぜこの北陸、しかも富山でかくも熱心に天神様をお祀りするのか不思議でした。それに天神講というのは江戸時代の寺子屋のこと。寺子屋に学問の神とされる天神様が祀られていたからそう呼ばれるようになったとのことです。
そこで富山の天神講について調べてみたところ、富山では売薬の商人(いわゆる富山の薬売りです)が、その習わしを福井から持ち帰ったという説があり、以来、子供が頭が良くなるように、利口になるようにと願って天神様を各家庭で祀るようになったとのことです。
それかこれか、富山では子供がとても大切にされています。
「子供を産んで育てるなら富山に限る」
と言われるくらい母子に対して福祉がとても手厚いのです。若いお母さんたちも子どもと対するとき、おっとりしています。仕事と子育てで疲れ果てている景色というのをここでは見たことがありません。大事にされているせいかここの子供たちは人見知りもせず、大人を怖がりません。通りすがりにきちんと「こんにちは」と挨拶をしてくれます。
海辺に散歩に出かけたときのこと、防波堤でお父さんと釣りをしていた小学生の男の子に「なんか釣れた?」とバケツの中を覗き込みながら声をかけたら、「〇〇の小さいのが釣れた。けど、小さいから捕らんですぐに放してやったら、そしたらね・・・・」
早口でいろいろ説明してくれました。方言が混じっていたので、分からないところもあったのですが、聞いていて私は何とも言えず幸せな気持ちになりました。子供のおしゃべりというのはいつ聞いても私には素晴らしい音楽に聞こえます。
と、普段はそうなのですが、先日東京に向かう新幹線の中で遭遇した場面には寒々しい思いがしました。
若い両親と一緒の小学生低学年らしい女の子ふたり、甲高い声でしゃべりつづけ、騒ぎ、それは通路を隔てた席にいる私の鼓膜が時にビリビリ震えるほどでした。
しかし、両親は注意するどころか、二人とも黙ったままひたすら携帯をいじっていたのです。
ついに女の子同士喧嘩になり、叩かれたひとりが大声で泣き出し・・・。
そこで母親がやったことはひとつ。いきなり叩いた方の女の子の頭を平手で叩いたのです。それからやおらバッグからお菓子を取出し、子どもたちに与え、相変わらず黙ったまま、また携帯に視線を戻しました。
子どもは親を見て育ちます。
将来、この女の子たちがどんな母親になるのか、想像するまでもない気がして、なんとも暗澹たる思いになりました。ベビーカーを押しながら携帯、電車の中でも携帯。このままではこの国の未来が崩壊していく気がしてなりません。
2014/02/06 高瀬千図拝