今年は気温がなかなか上がらず、ここ八ヶ岳は新緑の季節が今も続いています。
この数年、【ネオ心理学】と命名して私がこれまで学んだこと、知りえたことを集大成し、さまざまなプログラムを提供してきましたが、最近始めた『副人格の統合』というプログラムでは、私自身も予想しなかった結果が生れています。
『副人格』というのは、私たちが生れてから今日まで(時に過去世をも含みます)体験したことによって生れた第二の人格を指します。傷ついた体験をすると、その痛みから逃れるため、そんな体験を二度と繰り返さないために、私たちはなんらかの防衛をするようになります。「もっと強くなりたい」とか、「もっとうまくやらなくては」とか、「簡単に人を信じてはいけない」とかいったことです。これは無意識のレベルに蓄積されていきます。そうして造られたのが『副人格』です。そのためこの『副人格』は私たちの潜在意識の中に無数に存在することになります。しかも生き方を変えよう、考え方を変えようという顕在意識のレベルではどうにもなりません。
苦しみから逃れるために、よりよい生き方を学ぶために人々がさまざまな師を求めてさまようというのは今も昔も変わりません。しかし、ほんとうの師は外にはなく、自らの内にいます。(イエスが「神は外にあるのではない。あなた自身の内にある」と言ったように)
もともとネオ心理学では現実に起きるさまざまな心の葛藤に速やかに気づき、手放すためのメソッドを提供していますが、では、その葛藤はどこから生まれているのかについて洞察を巡らしてみると、その源が『副人格』だったのです。
『副人格』を呼び出し、それを受け入れ、成長させ、統合していくというプログラムは、いわば現実に葛藤を引き起こしている元凶を根絶やしにしていくという結果につながります。では、「葛藤を終わらせる」、「恐怖なく生きる」ということがなぜ必要かと言えば、私たちは葛藤なく、平穏で、静まっているときにのみ創造的になることができるからです。
誰もが持っている創造性は『命の持つ奇跡』とでも言っていい、私たちの想像をはるかに超えたものです。その『命の持つ奇跡=創造性』が芽吹き、動き出すには現実に反応し続けている私たちの葛藤が止む必要があります。
一般には葛藤もなく、あまりに平和になったら、すぐに退屈するのではないかと思いがちですが、現実にはその逆になります。退屈する暇がないほど、限りなく創造性が活性化するからです。
私は自分の人生という時間をその実験にあてています。自分で見て、自分で体験してみる、無限の可能性は自分自身の中にあることを知る。それがこの世に生れ、肉体を持ち、現実を経験することの意味であり、人生の醍醐味だろうと思うからです。
2010/06/06 高瀬千図拝