2012/11
当たり前=無感動

八ヶ岳の紅葉

今年はいつまでも暖かかったせいか紅葉がどうなるのか心配していましたが、期待通りに森はみごとな色彩に染まりました。おかげでこのところ日課にしている一時間の散歩がとても楽しいものになっています。

秋の夜長、テレビもつまらない、本を読むのも疲れた、というときに私はよく映画を見ます。今現在のマイブームは日本映画です。さりげなくて深い内容を持つ作品がたくさん出ています。

最初は『かもめ食堂』。それが契機になって『プール』、『メガネ』、『食堂かたつむり』、『ツレがウツになりまして』などなど。監督はみんな違うのですが、どれもとても自然でやさしくていい作品ばかりです。『八日目の蝉』には泣きました。

かつてフランス映画界に起きたヌーベルバーグ(新しい波)。ドラマを廃した映画が一世を風靡しましたが、今の日本映画にはそれに近いものがあります。

 

実は私の映画好きは筋金入りです。父に連れられて初めて映画館に入ったのは私が6才、弟が5才のときでした。見たのはチャールズ・チャップリンの『モダンタイムス』。

長崎は原爆投下と爆撃で焦土と化していたのですが、最初の娯楽が映画だったのでしょう。今思えばただの小屋同然の映画館。でも中は超満員。立ち見席もギュウギュウに大人がひしめきあっていて、子供の私たちにはまったく画面が見えませんでした。父は私と弟をかわるがわる肩車に乗せて見せてくれました。

チャップリンがスケートを履いて舞台ギリギリのところまで滑ってきて落ちそうで落ちないという場面や、席に座るだけで自動的にご飯を食べさせてくれる機械が壊れて次々に口にネジやナットを詰め込まれるシーンを今もよく覚えています。映画館の中は爆笑の渦。私たちも涙が出るほど笑いました。

日本人の生活はまだ食うや食わずの時代で困窮を極めていたのに、映画館の中は陽気な笑いに満ちていて、なぜかみんなとても楽天的でした。

戦争がない、というのはそれだけで人の気持ちを明るくするのです。親が映画好きだったせいで、いつも弟と私の四人で街の映画館に出かけていきました。駅まで2キロ以上歩き、それから蒸気機関車に乗り、街の映画館までは相当時間がかかったはずです。それでも映画に行くことは何にもましてワクワクする我が家の大イベントでした。

 

それもたぶん一年か二年の間の出来事だったのです。父はそのころにはまだ珍しかった単身赴任で一年半の間、横浜勤務になりました。赴任後すぐに末の弟が生まれ、母と子供たち三人の暮らし。そんな事情もあって家族で映画に行くこともなくなりました。

それでもあの戦後の貧しい時代、映画館の中に溢れていた陽気さと楽天的な空気を私は今も忘れることができません。

あの頃と比べれば今のほうが物質的には考えられないくらいずっとずっと豊かですし、第一ここには戦争もないのです。比較することには無理があるかもしれませんが、なにもかもが『あって当たり前』だと思うことは人を無感動、無感覚にします。喜びも薄いものになります。

一本のバナナが大ご馳走だった私が子供だったころ、あの頃のほうが気持ちの上ではずっと豊かだった気がするのはただの感傷でしょうか。

2012/11/06 高瀬千図拝

 

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