2013/04
傷つかない心

ここもようやく春の気配、フキノトウが芽を出しました。

今年は雪が多く、いつになく厳しい冬でしたが、氷の下でゆっくりと浅緑の芽を伸ばしていたのだと思うと感動もひとしおでした。

いつも見るたびに感動してしまうのは、とても小さくて微細な力が目に見えないゆっくりとした速度で『命』を開花させていくことです。

都会のコンクリートのほんの小さな隙間から芽を出し、花を咲かせるすみれやたんぽぽ。そんな可憐な姿を見るにつけても、もしかしたら、この柔らかくやさしい力の方が大きなものを変える可能性を秘めているのではないかと思ったりします。

先日の春の嵐ではカラ松や白樺など、何本もの大木が倒れました。

けれども小さな草花はどんな嵐が来ても倒されることがありません。嵐が去ってしまった朝など、何事もなかったかのように凛とした姿で朝日をあびています。踏まれても刈り取られてもまた芽を出して空へ向かって伸びていきます。

 

人もまた本当に強い人というのは、何があろうとも謙虚でやさしく、たおやかな心を持つ人ではないかと思います。

 

先日もあることで傷ついたクライアントが「傷つかない強い心が欲しい」と言いました。それは傷ついた人なら誰しも思うことです。なにがあろうとびくともしない強い心、傷つかない心が欲しいと。傷ついたときの痛みが激しいときにはとくにそう思います。

 

しかし、傷つかない強さというのは、実は鈍感さでしかありません。平気で人を傷つけ、一方的に、また無神経に自己主張できる人は一見強く見えますが、実はただ精神的に幼いだけです。

そこには想像力も、創造力もありません。

感受性というのは、やはり諸刃の剣のようなもので、人を傷つきやすくする一方でその人に豊かさもまたもたらしてくれます。

感じることのできる心はたくさんの美しいものに反応し、物事を深く理解し、味わうことができる能力でもあります。何かに深い感動を覚えることができるのも感受性が豊かなお陰です。そうして心はますます豊かになっていきます。

 

ほんとうの強さとは『傷つかない強さ』ではなく、『たとえ傷ついても、正直に、真摯に生きる勇気を持つこと』だと私は思っています。そんな人を私は美しいと思います。

 

私はクライアントに言いました。

「今はきっととても心が痛いだろうし、悔しいと思います。でも、ただその痛みを感じて、そして手放してみてください。でも、もし今はごまかしたい、逃げ出したいと思うなら、自分の気持ちをきちんと確認してから逃げてください。意識化するプロセスが大事なのです」

 

ワークが終わったとき、彼は晴れ晴れしい顔になりました。

「傷つきやすいことをこれまでは自分の弱さだと思っていました。でも、今はなんだかそんな自分が誇らしいです。私はこのままでいいんですね」

 

傷つきやすい人に私はエールを送ります。
その傷つきやすさこそがあらゆるものに対する美の発見と創造、そして豊かな人間関係を育む源泉になっているからです。傷つかないように自己を偽って生きるより、傷ついても正直に生きる勇気を私は大切にしたいと思っています。

2013/4/4 高瀬千図拝

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