2013/06
生涯の友

ここ八ヶ岳もようやく緑に染まりました。梅雨に入ると、どんよりと重い空に気持ちも沈みがちになりますが、そんな日も森の緑は逆に発光しているように輝き出します。

いつものように庭にはわすれな草が咲き始めました。可憐な姿に似ず、たくましい花です。

今年は例年にない寒波に襲われ心配した夏蝋梅なつろうばいも元気に葉を広げ、たくさんの蕾をつけました。動物も大好きですが、植物にも魅せられてしまいます。それに素敵な人たちにも。

 

先日、ドイツに住む友人と数年ぶりに会うことができました。
(彼女と初めて出会ったのは20年前、パリでのこと)

それでもまるで先週も会っていたかのように話は始まります。

彼女は画家ですが、話題はどこまでも広がっていき、日々の生活のこと、感動した映画のこと、オペラ、文学、お掃除に料理、飼っている猫のことと、お互いに話し出したらきりがありません。

音楽の至宝、カール・リヒター指揮、ベルリンフィルによる『マタイ受難曲』を送ってくれたのも彼女です。

そんな彼女が言ったことで、なるほどと思ったことがあります。

「この年齢(70才!)になると、会う友だちも選ぶようになったの。
会った後、後味のいい人だけにすることにした。
あなたは抜群に後味がいいの。深くて豊かで」

その言葉を私は素直に嬉しいと思いました。しかし、考えてみると確かに、会った後、後味の悪い人も結構いるな、と思いいたります。

何かがずれていたり、芯のところで理解し合えなかったり、傷ついた感覚があったり、イラッとさせられたり、話題を制限しなくてはならなかったり、つまらないことで気を遣わなくてはならなかったときなど、別れた後、後味の悪い思いをします。

これは育った環境とか経歴とかとは無関係です。理屈を超えた何かなのです。

 

それからもう一人、25年来の親友が初めて会ったころに言ったこと。

「友だちと思うかどうかは、愛情深いかどうかにかかってるの。
愛情深かったらそれだけでいい」

確かにそうです。
それで言えば、とくにどうということもないけれど、互いを思いやりつつ、それだけでもう50年以上付き合っている友人もいます。会ったとたん、私たちは子供のころに戻ってしまいます。

 

それにもうひとつ。
友だちとしての大事な要素は笑いのツボと感動のツボが重なっていること。そうなると最強です。
一生の付き合いになりますし、話は果てしなく楽しいものになります。

 

たくさんの友だちがいて、その友だち同士がまた友だちになって、互いに理解と応援を惜しまない関係が広がっていく・・・。お陰でとても豊かな人間関係に恵まれています。

正直で誠実、率直で無邪気、みんな素敵な人たちです。そんな人たちの繋ぎ役を果たしていることが今は楽しくて仕方がありません。「ね、あの方、ほんとに素敵な人でしょう」と言える幸せ。

 

それにまた嬉しいことがもうひとつ。
先日の電話で次女が言ったこと。

「ボーッとしていて思ったの。お母さんはほんとうに私の大親友だって」

私にとって二人の娘もまた大切な生涯の友であり、そして互いの大いなる応援者で理解者です。
母としてこれ以上に幸せなことはありません。

2013/06/05 高瀬千図拝

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