この写真は富山駅北口にある環水公園の一部を撮ったものです。たまたま富山を訪れ、朝の散歩にでたとき、北西の空に虹がかかりました。広大な環水公園には運河が巡り、海まで続いています。
手入れの行き届いた緑の芝生にはあちこちに木製の椅子がおかれ、空を見ながらゆっくりと休むことができるようしつらえられています。日本一美しいスタバがあるのもこの公園です。
八ヶ岳に暮らすようになって6年が過ぎた今、ライフワークであった長編小説も脱稿し、そろそろまた次の人生にむかって歩き出したいと思うようになりました。
いよいよ人生の第四ステージ。
言ってみればフィナーレ。残りの時間をどう生きるのか、どう生きたいのか、考え続けました。
私も後二年で70才。
世間では年寄りの部類に入るのですが、私にとってはこれこそがまさに長年憧れた『ゴールデン・エイジ』なのです。
強がりではありません。
ほんとうのことを言えば、若い頃、自分が若い女性であることがほんとうにいやでした。出会う人たちの反応は、私がどんな人間かというより、どう見えているかに焦点が当てられていた気がするからです。
ほんとうの自分と外見の自分とのギャップがはげしくて、誰にも理解されないという苛立ちと孤独感をつねに感じていました。
ですから、私の夢は早く年を取ることでした。早く年を取って、女性としてではなく人間として見られるようになりたかったのです。自分の内面と外見が寄り添う年齢、それが私にとっては70代なのです。
その残りの人生でどうしても書きたいものがあることに気づきました。長年親しんできた『能』の世界。新作能も書きました。
それでいて、これが書きたいと言うにはあまりにも自分が未熟であることも自覚され、なかなか口に出して言うことができませんでした。しかし、やはりこの人生を与えられた以上は「世阿弥を書きたい」というのが真実です。
これが自分の最後の作品になることは明白ですし、書き上げられるかどうかも分かりません。なにしろ最近脱稿した作品には10年以上かかってしまったのですから。
かつて世阿弥は足利義満の庇護のもと、大輪の花を咲かせましたが、後の将軍足利義教の逆鱗に触れ、佐渡に流されました。その後の消息は不明です。
その始まりも終わりも実は北陸と深い関係があります。そのような訳で、私の次の人生は北陸を知ることから始めようと思っています。富山を足場に。
世界の演劇界に衝撃を与えた『能』。それは観阿弥と世阿弥によって究極の洗練を遂げた表現形態です。かつてご縁をいただいて九世・観世銕之丞氏の能の会のお世話を10年勤めました。それに先だってパリでの能の公演のプロデュースもさせていただきました。
演目は『羽衣』でした。
フランスでは日本の能に対する憧憬は今も変わることがなく、人々を熱狂させます。ユネスコの国際会議場は1400人を収容できる巨大な舞台ですが、3000人が押し寄せ、大変な騒ぎになりました。そしてそこで舞われた観世銕之丞氏の『羽衣』、それはまさに光が降るような舞台でした。私の人生の最後の時間、もう一度『能』の世界、世阿弥の世界に入っていきたいと思っています。
2013/08/31 高瀬千図拝