この写真は、私がいつも散歩しながら見ている景色です。富山はとても小さい街なので、この場所から駅までは7キロ。都会と田園の風景が共存しています。
どこにも土地柄というものがあるものですが、それは土地の歴史や風土、環境によってそこに住む人の意識に独特の個性が醸成された結果でしょう。
空海も言っています。山間の人は警戒心が強く、開けた土地や海辺に住む人たちはおおらかで開放的だと。まさに風水の原点です。
かつて配置薬で栄えた歴史を持つ富山では、男たちはいったん商いに出たら半年は帰ってこられなかったと言います。
留守を守ったのは女たちでした。そのせいか富山の女性は元気がよく、よく笑い、よくしゃべります。人懐っこくて知らない同士でもすぐに打ち解けておしゃべりが始まります。どちらかというと男性の方が控えめで、もの柔らかです。(でも、よくしゃべります!)
女の人が強い土地は家庭も社会も円満のようで、長野では度々あった差別的な態度や発言を今は耳にすることもなくなりました。
今、都議でセクハラ野次が物議を醸していますが、あのような発言は私などこれまで数限りなく体験させられてきました。職場、親戚、地域、また個人的な集まりでもありました。
長女の妊娠中も私は某大新聞で仕事を続けていましたが、同僚から
「大きなお腹で仕事に来られたらみっともないから、即仕事を辞めてくれ」
と言われたことがありました。
また、臨月近く病院に行くために電車に乗ろうとしたら、横にいた若い男性が私を押しのけて我先にと電車に乗り込み、空いていた席に走っていってどっかりと座りこんだのには「なんたる後進国!」と唖然としたこともありました。
今回も、かつても、問題なのはそんなことを言ったりしたりした本人が、それを差別的発言や行為だと自覚していないことです。
これまでの日本の歴史を見る限り、ことに武士が台頭した鎌倉以降は、女性は家の財産の一部として本人の意志とは無関係に男たちによってやり取りがされてきましたし、いったん戦があると、レイプ(女捕り)は当たり前、奴隷化も当たり前、問題にもされませんでした。
そんな環境は江戸時代まで残り、明治になってようやく西欧化の波と志のある女性たちの奮闘によって少しずつ改善されてはきたものの、今でも人権意識の点では他の先進国に比べれば驚くほど遅れています。
個人的には女性を人として同等に見たり尊重してくれる友人もたくさんいますが、残念ながら全体を見る限り大抵の男性の意識は鈴木都議やその他の議員たちとさほど変わりません。
かつて某大銀行のニューヨーク支店に勤務していた女性からパワハラとセクハラで鬱状態になったと相談を受けたことがありましたが、日本の海外支社ではこのようなことは日常茶飯事で、友人が勤務していたある商社では裁判にさえなりました。
裁判の席で何が問題なのか分からない原告(商社の上司)に対して裁判長が怒鳴り出す場面もあり、これはCNNニュースで世界中に報道されました。
つまり、女性にとって何が苦痛で屈辱的なことなのか、セクハラをする人は分かっていないことが多いということです。
そろそろほんとうに目覚めなくてはならないのですが、男性を育てるのは母親です。その役割がどれほど重大かということでもあります。尊敬される日本になるのはまだまだ先のことなのでしょうか。
2014/07/05 高瀬千図拝