今年は冬から一気に夏に変わったようで体調管理に苦労しています。年齢とともに体内の水分が枯渇するらしく、気がつかないうちに体の中は乾いていて、足がつったり、熱中症にかかりそうになったり。
書きあがった新作の推敲をするため朝から近所のカフェに行くのですが、気がつくと三時間の間、マグカップでコーヒー二杯を飲んでおり、しかも時間の経過をまったく認識していなかったりします。
ご存じのとおりコーヒーには利尿作用があり、夕方歩いていて足が痙攣してきて初めて体内の水不足に気がつくというありさまです。
体力維持のためほぼ毎日ジム通いをしていますが、それでも去年はできていたことが今年はできない!という体験をします。
その年齢になると人はどうなるのか、若い人が老人の体や思考を想像したり、理解することは非常に難しいことのひとつかもしれません。残念ながら、人はやはりその年齢にならなければ分からないことが多いように思います。
最近は医療の発達で容易に死ねない世の中になっていて、よほどしっかりした自覚を持っていなければ、ただ生きさせられてしまうという現実があります。
自己管理は強い意志がないとなかなか続けられないものですが、どう生きたいのか、どんな人間でいたいのか、これは年齢に関係なくつねに心に刻み続けていなければならない大切なことのように思います。
年を取るにしたがって若いころよりいっそう自分の意志を明確にすることが大切になります。でなければ、なし崩しにただ老いていく、時間の浪費という空虚な世界に落ちていくような気がするからです。
今は素敵な先人がたくさんいらして励まされます。画家の堀 文子さん、料理家の辰巳 芳子さん、バアバことやはり料理家の鈴木 登紀子さん、女性ばかり名前を上げてしまいましたが、どなたも90才を越してなお美しく、ご自分の世界をひたむきに生きていらっしゃいます。
元気の秘訣はきっとご自分がやりたいことが明確にあって、そのための精進があるからだろうと思います。感動的なことは、ご自分の世界を表現するためにどなたもその意志を貫き通す強さと、同時に自分がやりたいことは誰がどう言おうとやる、という心の自由をお持ちだということです。
年齢には関係なく
行きたいところに行き、見たいものを見る、味わいたいものを味わう、
これはできそうでなかなかできないことです。
青いポピーをじかに見るために、堀文子さんがヒマラヤにいらしたのは82才のとき。標高5000m、並大抵のことではありません。その絵とその時の体験は『堀文子 画文集』(JTBパブリッシング)に収められています。
その堀さんも年齢には勝てないと、軽井沢から大磯に移転されました。軽井沢の冬も氷点下20度ちかくになるからです。
私も同様の理由で八ヶ岳を離れ、今は富山で過ごしていますが、ただ、冬の八ヶ岳、その雪の朝の光景はいまだ手放しがたいものがあります。
純白の森に射す金色の朝日の美しさ、枝のひとつひとつが輝きたつ、一年でいちばん美しい荘厳な世界。白い雪の上には兎や狐の小さな足跡。住んでいなければ出会えない感動的な景色です。
2015/05/07 高瀬千図拝