2015/06
すぐれた教師に出会うことができたなら

素敵な庭

この写真は友人が丹精した庭の様子です。

毎年、5月の末には彼女のオープン・ガーデンを植物画のクラスの仲間と訪ねるのが恒例になりました。植えこまれた植物の多様さ、色彩の豊かさに驚かされます。

こうして花を楽しむことができ、約束した時間に友達と会い、お茶とおしゃべりを楽しみ、自宅に戻ると猫のプージャの世話をし、夕食の支度をする。ありふれた一日のようでもあり、すべてが奇跡のようにも思える美しい一日でした。
 

最近また思い出してトリイ・ヘイデンの本を読み直しています。トリイ・ヘイデンは1951年生まれのアメリカの教育心理学者、セラピストです。学生の頃、ボランティアとして初めて低所得者層の未就学障害児のクラスを受け持ったときから、この想像を超えた子供たちの物語が始まります。

その経験から生まれた最初の著作が『シーラという子』(入江真佐子訳 早川書房刊)。これは世界中で大反響を呼び、22カ国で翻訳されましたから、お読みになった方もきっといらっしゃることでしょう。
 

理想に燃え、豊かな感性と愛にあふれた若い女性教師が出会った特殊クラスの子供たちとその物語はたちまちシリーズになりました。

貧困と無知の大人たちに虐待され、傷つけられ、心身ともにズタズタにされた七才の少女シーラ。心を閉ざすことで生き延びてきたひとりの少女がトリイとの出会いによって少しずつ心を開いていくプロセスが物語の中心軸をなしています。

教育心理学者の著作でありながら、この物語が息苦しくないのは物語として書かれていること、また同時にトリイ自身の日々の暮らしや思いが自然体でつづられているからでしょう。
 

しかし、一定の年齢になると否応なしに全員がその安全なクラスを卒業し、過酷な現実に戻っていかなくてはなりません。シーラもそうでした。

ではその後、彼女はどうなったのか。
気になって仕方がなかったのは私一人ではなかったと見え、すぐにその後に出版されたのが『タイガーと呼ばれた子』でした。タイガーと呼ばれた少女はもちろんシーラのことです。

その後もトリイが出会った子供たちとの物語は相次いで出版されました。『檻の中の子』、『愛されない子』、『よその子』、『幽霊のような子』などなど。

いずれも事実に基づいたもので、人間という不可思議で豊かで美しく、傷つきやすい生き物の奇跡の物語がつづられています。

どれが一番好きか、と問われたら私は即座に『檻のなかの子』と答えます。これは特殊な環境の残酷な運命に置かれた少年が自己を取り戻していく物語です。

しかし、これらの物語に共通しているのは、いかに過酷な環境に置かれても、子供たちがもしすぐれた教師に出会うことができたなら、それぞれの形で自己の尊厳を取り戻すことができ、その能力をその子なりに開花できるということです。

全身全霊で子供たちと向き合うトリイの日々は格闘にも近いものですが、そのような表現が似つかわしくないほど、彼女は豊かでしなやか、暖かな愛情に満ち溢れています。

おそらくこんなにも私が心揺さぶられるのは、子供たちを通して語られる人間という存在の奥深さ、本人にすら自覚されないまま息づいている愛というものの不思議さ、その深さによるのだろうと思います。

2015/06/06 高瀬千図拝

 

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