2016/05
熊本地震の被災地へ想いを寄せる

今は移転の準備に追われています。人が住むというのは、こんなに物が必要なのかと改めて思います。断捨離というのが流行りましたが、そう心がけていても尚、物は増えていきます。困ったものです。

使えるけれど必要のないものをリサイクルショップに引き取ってもらうようにしました。富山にはあきれるほどたくさんのリサイクルショップがあって、明らかにガラクタに属するものでも引き取ってお店に並べています。ちょっとした蚤の市です。
 

かつて18才のころ、大学に入り初めての一人暮らし。当時は公立の女子大が熊本にありました。寂しさからよく友達と集まっては食事したり夜中までおしゃべりしたり。その仲間は今でも友達で、互いに近況を知らせあっています。まだそのころの日本はとても貧しくて、学生時代の引っ越しはリヤカーひとつで足りました。熊本市内を女の子3人で引っ張ったり押したり。それが当たり前の引っ越しでした。朝ドラ「とと姉ちゃん」の世界です。でも、そのリヤカーはどこで調達したのか、まったく覚えていません。
 

古希を迎えて来年はクラス全員の同窓会が熊本で開かれる予定でした。しかし、今熊本はいまだ経験のない大地震に襲われています。電話をしてみたけれど連絡が取れないので、東北の震災の時、メールだけは届いたのを思い出し、メールしてみたら無事でした。彼女は長野の松本に娘さんたちと旅行中だったのです。今のところ、家も無事のようです。ほっとしつつ、まだまだ終息する気配のない今回の地震、やはりこれからのことが心配です。
 

以前、長崎を集中豪雨が襲い、たまたま帰省していた私は子供たちを連れて両親と小学校の体育館に逃れました。夕方、会社の退け時でした。満潮と豪雨が重なり、瞬く間に水位が上がり、逃げる間もなくたくさんの方が亡くなりました。

私の父は孫が帰ってきたと、たまたま会社を休んでいたので助かりましたが、ようやくローンで一戸建ての我が家を建てたばかりだったのに、崖崩れで一気に流されてしまった友達もいました。

あの時は体育館で体操用のマットで寝る日が3日続きました。夕方にはまた恐ろしく暗くなった空から信じられないほどものすごい雨が降り、住宅は二階まで水につかりました。

「お腹がすいたあ」と泣き出す子供たち。炊き出しのおにぎりが届いたのは三日目の夕方。それまでは何一つ食べるものも飲む物もありませんでした。私は鍵のかかった給食室にドアのガラスを割って鍵を開け、缶詰をいくつかいただいて、避難していた子供たちに食べさせました。十数人はいたでしょうか。

まさに不法侵入と窃盗です。人生でそんな犯罪を犯したのは一度だけ。緊急事態を考慮して警察のおとがめはありませんでした。
 

不安の中で過ごす夜、固い床、3日目にはさすがに疲れが出てきました。たったの3日で。熊本や大分の方々のご苦労と疲労を思うと胸が痛くなります。高森という阿蘇の山奥にいる従妹とはいまだ連絡が取れません。阿蘇大橋が崩落して交通も途絶えています。今はただ無事を祈るばかりです。
 

仮設住宅ができるまで一カ月以上かかるとのこと。トレーラー・ハウスをたくさん用意しておけば、被災地にすぐに向かうことができるのにと思います。この国はいつも何か不合理で無駄使いばかりしている気がします。

2016/05/06 高瀬千図拝

 

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