2016/09
日本人意識腐食計画

猛暑の夏が過ぎて、やや疲れぎみの方も多いのではないでしょうか。

東北に五黄殺が巡っている今年、東北地方はさまざまな困難に遭遇することになりました。前代未聞の台風の上陸、豪雨、水害。

暗剣殺の巡る西南にはイスラム国の一般人を狙うテロが頻発しました。気学というのはやはり不思議なところがあって、すべて日本と皇居を中心として見ています。

なぜだろうと何度も考えました。いまだ合理的な答えは出ないのですが、日本列島がいわば世界の縮図的な位置を示しているという説、新しい世界の黎明は日本から始まるという説も信頼できる人々から聞いています。
 

考えてみれば、ひとつの国家としてこれほど続いた国はありません。皇紀2600年を超える歴史を持つ国。ひとつの国が国家としてこのような年月をずっと維持してきた例は他にはありません。

確かにこの日本は不思議な国です。そのおかげで伝統文化も続いてきました。さまざまな工芸品と精密機械の正確さはつながっているし、美的感覚の鋭さは伝統芸能と結びついています。

ところが、伝統芸能のひとつ、『能』は危機的状況を迎えています。また出版文化も未曾有の危機的状況にあります。『能』はご存知のとおり、観阿弥と世阿弥父子によって完成された演劇形態です。表現の抽象性と無意識を劇化してみせるたぐいまれな芸能。いまだこれを超えるものは出ていません。

その『能』が今やもっとも危機的状況にあります。第一クライシスは江戸幕府が崩壊したこと。式楽として保護されていたものが、明治維新によって保護を失ったときです。第二クライシスは第二次世界大戦、能楽師も兵役につかされ、多くが亡くなりました。能楽堂も消失しました。これが復活を果たすことができたのは、細川家が保護していた名人たちの働きによるものです。
 

では第三クライシスとは・・・。『能』に興味を持つ人が非常に少なくなった今現在です。これが最も深刻な問題でもあります。かつて会社の経営者なら能をたしなむのは常識でした。三菱の創始者である岩崎弥太郎は会社の敷地にまで能楽堂を建て、社員に能を見せたり、稽古させていたくらいです。

では、能がどうして幕府や経営者に大切にされたか。実は能を舞うには心に嘘があってはならないからです。極限まで簡素化された動きは心を集中しなくては絶対に舞うことはできません。心に迷いがあると、いかに装束を付け、面を被ろうと全身からその迷いが発せられてしまうからです。
 

胸に一物あるとしたら、能を一指し舞わせれば、たちまちばれてしまうということです。
 

それが今やゲームに夢中の人々が増え、活字を読むのも面倒、能なんてそんなのあったのか、という今の現実。藤原正彦氏によれば戦後、『日本人意識腐食計画』というのが実行されてきたとのこと。今やそのGHQの戦略は彼らの想像した以上に成功を収めました。

ものを考えなくなった日本人、本を読まなくなったことと関連しています。文化や文学は人間の精神の根を育てていると前にも申しました。それが腐りかけているのが現代です。脳も退化してきています。

百姓の子すら論語を学ぶ国は深い思考力を持つ国です。それが見事なまでに破壊されたのが今日のありさまです。嘆かずにはいられません。

考えない国は亡びる、数学者・藤原正彦氏の言葉です。

2016/09/05 高瀬千図拝

 

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