2017/03
時を得て、理解者を得て

ナガノツメクサ

暖かな所ではもうそろそろ桜情報が聞かれ始める季節、でもこちらはまだ冬の名残を残したまま、ようやくフキノトウが芽を出したところです。

写真の花は近くの小さな湖のほとりに咲くナガノツメクサ。このあたりにだけ見られる種類だそうです。

毎年のことですが、この季節は確定申告の時期。
算数や数の嫌いな私にはいちばん苦手な仕事です。足し算は間違ってばかり。ですからエクセルにとても助けられています。

その前はほんとに悲惨でした。ギリギリまで延ばし、セラピーのひとつ『嫌だ』を徹底的に捨てるというその作業なしには取り掛かる気にもなりませんでした。

創造的ではない仕事は楽しくないのです。
これはどうやら私だけではないらしいと最近友だちと話していて分かりました。

何かができあがっていく、やったことがひとつの形になる、というのは楽しいのですが、後始末はどうも楽しくありません。それがお金に関わることになるとなおさらです。表現するというのが仕事の私には創作の妨害にしかなりません。

作家が物語を書くのにはものすごいエネルギーが必要です。表現することに全能力を注ぎ込まなくてはなりません。ましてや歴史小説となると、たくさんの資料に当たらなくてはならず、時にはうめき声を上げるくらいに苦しいのに、実は書くことが究極の喜びにつながっていることを知っているから、やめることができないのです。書き上がる頃には歓喜というか、一種のエクスタシーを味わいます。

手は痛くなるし、背中は痛いし、老眼鏡でも見えないほど小さな文字群をルーペで覗きながら必要な情報を見つけ出していく。訓読もままならない漢文から情報を引き出す、それこそ他の人が見たら、とてもじゃないけど決して幸せには見えないはずです。

ましてやそうして苦労して何年もかかって書き上げたものをどこの出版社も採算が合わないとか、担当できる能力の編集者がいないという理由で、断ってきます。

『明恵』の物語がそうでした。原稿用紙に換算すると二千枚を超えます。
確かに採算が取れるどころか、儲かる話ではありません。

石の上にも三年という言葉がありますが、書き上がるまでにざっと12年、出版が決まるまで6年を要しました。この作業ばかりはよほど主人公に惚れ込まなくてはできない作業です。

不器用な私は一方で短くて分かりやすい小説を書きながら、『明恵』と取り組むということができませんでした。時には朝から晩まで明恵のことを考えていました。そして、何度も自分の無能さに絶望を味わいました。

それでも時を待つことができたのは『黎明』の著者葦原瑞穂氏が原稿を読んでくださり、「千図さん、いいものは絶対に世に出る時が来るからそれを信じていればいい」と言ってくださったからです。亡くなる少し前に「いよいよ明恵の物語が外に出るときがきたよ」と予言めいたメールが届き、そして不思議なことにそのとおりになりました。

時を得て、そして理解者を得て『明恵』はこの秋に出版の運びとなりました。私を導いてくださった先人たちに、励ましてくれた友だちに感謝するばかりです。

2017/03/06 高瀬千図拝

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