2018/02/07
巨大化する果物に懐う(おもう)

雪景色 道路 轍

寒い日が続いていますが、みなさまお変わりありませんか。
2月は北欧では光の春と呼ばれ、日本でも旧暦のお正月。新春です。とはいうものの今年の寒さは、ここ八ヶ岳でもいささか辛いものがあります。

しかし、気候変動があるたびに温暖化の影響という学者、いや地球は寒冷化に向かっていると主張する人、いろいろです。でも、この地球の歴史そのものが変動、異変の連続であったことも事実で、ジブラルタル海峡が地殻変動で隆起して塞がってしまい、地中海が干上がったのが5500万年前、それは90万年以上続いた・・・などという地質学者の話を聞いていると、想像もできない壮大な時間にめまいすら覚えます。
 

それにしても、このごろちょっと気になるのは果物の大きさです。大きくて甘い方が価値が高く、リンゴも苺も巨大化しています。それも最盛期より早めに出るというのがいわば高級ブランド。贈り物として見栄えがするとか希少性があるからというのが理由でしょう。

フジは子供の頭くらいの大きさ、苺はグロテスクなほど大きいものがいずれも高値で取引されます。そのためにどれだけ努力がなされ、燃料が使われているか、などと野暮なことは言いませんが、何でも季節ごとに出るのを待つのもいいではないか、と思います。
 

それに私は小さなリンゴが好きです。

戦後の長崎、原爆で焼け野原になった街に、はるか遠い青森からリンゴが送られてきた日、父は会社帰り、市場で私と弟に小さな二つのリンゴを買いました。父がうれしそうにポケットから取り出した赤いリンゴ、実はほんもののリンゴを見るのは私には初めての体験だったのです。

今では「なぜリンゴくらいで大騒ぎ?」と思われるでしょうが、戦後の日本はまだ鉄道網も回復したとはいえず、物資も滞りがちでした。お米すら配給制だったのです。

ですから、青森から汽車で送られてきたリンゴは、貧しいけれどようやく平和を取り戻したこの国のいわば象徴だったのです。そして、それは父にとって戦争は終わったのだという実感とともに、ささやかながら平和を取り戻したと思える祝祭の日だったのではないかと思います。

この頃はたいていのものは手に入ります。それが当たり前にもなっています。手に入らないなどと風評が立つと人々はパニックになったり、買い占めに走ったりします。物資の乏しい時代を知る者には不思議な光景です。
 

この頃の立派なリンゴはとても一人で丸かじりとはいきません。スーパーでいつも買おうか買うまいか迷ってしまいます。草原に寝転んで青い空を見上げながら丸かじりするリンゴは信じられないほどおいしいからです。

どうか農家のみなさん、また小さなリンゴを作ってください。子供が手のひらで包んで丸かじりできる大きさのリンゴを。そして季節が来て、その野菜や果物が盛りを迎えるのを待つという、当たり前だけれど、わくわくする体験を取り戻したいとも思います。
 

2018/02/07 高瀬千図拝

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