平成30年4月某日
自分の原稿の校正をしていて眠くなった。
中学生の頃を思い出す。私の不眠症の根は深くて子供の頃にさかのぼる。日本がやがて経済成長を始める前期、所得倍増計画というのが池田内閣で打ち出される少し前。
いわば大企業にいた父の帰りは毎日遅かった。
家の前に父のタクシーが止まると、私も弟たちも慌てて二階の自分の部屋に逃げた。父は疲れ切っていたにちがいない。機嫌が悪いとは限らないけれど、何だか文句が多かったように思う。疲れて帰ってきた父の感情を逆撫でするのが母は得意だった。母はとにかく皮肉屋で、妙なことわざが好きだった。タイムリーではないことわざ?が得意だった。
たとえば、私が芥川賞の候補になったとき、「ここが人生一里塚、がんばりなさい」と言った。
「ここは冥土の一里塚」を、このときは思いついたらしい。父が怒り出す。「お前が物知りだとは知っていたが、たいしたもんだ」と皮肉を言う。
子供の頃、母が言ったことばの詳細は覚えていない。ただ、父の神経を逆なでしたのは事実で、決まって口論が始まる。母は気の強い人だったから負けじと言い返す。
やがて父が手を上げる。そこで父の負けなのだが、そんなことは今にして思うこと。子供の頃は、そのたびに止めに入らねばならないと長女ゆえの責任感の塊みたいになっていた。弟たちを守るため、両親が寝静まるまで私は眠るわけにはいかなかった。そして、とうとう私は眠れない子供になってしまった。
中学の時、お昼の弁当がすみ、午後の授業が社会だったりすると、決まってものすごく眠くなった。美術の先生に言われた。「タカセ、お前がいちばん眠そうな顔しているぞ」
睡眠不足の子供は私だけではなかったらしいが、眠くて仕方のない私は思いついてしまった。庭に茂っているミント、これはもんだりするととてもスースーする。
で、私はミントの葉を学校に持ち込んだ。その葉っぱを揉んで、目の下に貼り付けるとスースーして目がぱっちりする。そう言うと、クラスの何人かが葉っぱをくれと言った。
それを揉んで、みんな目の下に貼り付けて、午後の授業を受けた。
思えば、教室に入ってきた先生はぎょっとしたにちがいない。目玉が四つある子供達が、目をしぱしぱさせながらずらっと座っていたからだ。
その日、私は職員室に呼ばれ説教された。「夜更かししてないで、早く寝ろ」
私の方がどれだけそうしたいか。他人にはその人の事情は決して理解されないと理解した。
2018/4/18 高瀬千図