平成30年5月某日
以前読んだクリシュナムルティの言葉に「人はいつから怒りが悪いものだと思うようになったのでしょう」という問いかけがあった。
中国に侵略され、120万人が虐殺されたチベットのダライ・ラマ14世がチベットの人々に言い続けた言葉は「怒りを捨てよ」だった。家族を殺され、友人達や同胞が罪もなく虐殺されるのを見ながら、怒りを抱かない人がいるのだろうか、と思った。
彼の著作『ダライ・ラマ自伝』(文春文庫)を読んだときのこと。
それを確かめたくて、私は52才の時、バックパックを背負ってチベット亡命政府のあるインドのダラムサラまで行った。2月、標高2500mにある、亡命してきたチベット人の住む小さな町は、まだ道の端には氷がうずたかく残っていた。
その頃、ダライ・ラマはツクラカン堂を住まいとされていた。
ラマ僧の一人が寺の中のダライ・ラマの部屋に私を案内してくれた。驚いた。六畳くらいの土の床、そこに置かれた小さな古びた机、その上に経本、擦りきれた赤い座布団、壁に掛けられているのは曼荼羅だけ。あまりに質素だった。
早朝、講話に現れたダライ・ラマはあの穏やかな笑顔で、テラスから身を乗り出すようにしてまるで友だちに話しかけるように話し始めた。僧衣は修行中の僧侶達と同じ、
本来ならダライ・ラマでなくては身につけることのできない見事な装束があるのだが、亡命後、彼は一度としてそれをまとったことはない。
「怒りを捨てよ」という彼の主張は個人的な感情で怒りを募らせるなという意味であって、「社会的な怒り」については「捨ててはならない。社会的な怒りを捨てたらこの世に正義は存在しなくなる」というものだった。
不正義に対する怒り、あらゆる差別に対する怒り、社会的不平等に対する怒り、弱者を切り捨てていく社会制度への怒り、どれをとっても社会的な怒りであり、自分自身を通して感知される他者の痛みがその根源となっている。
ダラムサラまで行って良かった。ダライ・ラマのお顔を直に拝見して良かった、と私は思った。デリーから車で14時間、悪路を走り続け、暖房のない宿で寒さに震え、水のシャワーを浴び、オーバーヒートして、電気の消えた宿でろうそくの灯りでチベットの焼きそばを食べ、星明かりの中を午前5時にツクラカン堂に行って良かった。
夜明け前の空に巨大なシリウスが手の届きそうなくらい近く見えた。ギラギラと光っていた。それを見られたのも良かった。
昔から私は本を読んだだけではその人を信じない。誰だって分かったようなすばらしい言葉を並べることができる。思想書しかり、啓発書しかり、宗教者の言葉しかり。でも、それを読んでその人を信頼することはできない。書くだけなら、誰でも嘘を並べられる。
だから私は自分が良いと思った相手には必ず会うことにしている。その人の顔と全身から立ち上る何か、そのどこかに少しでも「臭い」と思われるものがあったら、そいつは偽者だ、と思う。
ダライ・ラマはすばらしくいい匂いのする人だった。
「社会的な怒りを捨ててはならない」という言葉にほっとした。弱い者に威張る、女性を奴隷としか思っていない、頭の中はほとんどイスラム国のような男達や、子供達をワクに押し込める学校教育、考えれば考えるほど腹が立つ。でも、これでいい。私は怒り続けることにした。
ある時、アメリカで働いている娘が同僚と日本に出張してきた。
「もう、疲れる」と娘が言った。通訳のことかと思ったら違っていた。
「あのさあ、電車に乗っても、街を歩いても、みんな怒ってばかりいるの。だから、日本はそんな国なんだって何度言ってもだめ。怒ってばかりいる」
どういうことかというと、電車の中で女の人や老人が立っているのに、大の男が知らん顔して座っている、エレベーターに男達が先に乗る、ドアを後ろも見ずに閉める、電車が来ても男達が先に乗る、重いものを平気で女の人に持たせる、どこにいても周囲を気遣わない、ということがいちいち目に立つらしい。
日本の現状はアメリカ人(といっても、人種はいろいろ)にとって腹が立つということなのだ。これはフランス人も同じことを言っていた。「あり得ない」と。
2018/05/18 高瀬千図
紙書籍版:Amazon
紙書籍版:楽天